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1月8日 Bill GatesのCES2008基調講演、その3さらに... まぁ、ビルゲイツの笑顔で終って良かったと納得するか...でもなぁ、ビルゲイツ自身の言葉で...「今後のコンシューマエレクトロニクス業界に何を期待するのか」とかビルゲイツが「何をこれからもしていく」のか、なんて話を....もう少し聞きたかったなぁ...と思うのであります。最後に、「俺の貸した20ドル返してくれよ」と20ドルをステージで返すシーンは、?!? これまたKY... では、ふるかわでした 6月12日 スティーブジョブズとビルゲイツの対談にウルウル..この数日の新聞記事では、ビルゲイツがハーバード大学で卒業式のスピーチをしたことが話題に(記事1、記事2)なっていますが...私は先月末に開催されたD: All Things Digitalカンファレンスのスティーブジョブズとビルゲイツの対談を感慨深く観ていました。以下のサイトからビデオクリップと、スクリプトを閲覧することができます。 http://d5.allthingsd.com/20070531/video-steve-jobs-and-bill-gates-highlight-reel/ 記事はこちらに、 http://d5.allthingsd.com/20070530/d5-gates-jobs-interview/ 全スクリプト(文章による書き起こしの全文)はこちらに、 http://d5.allthingsd.com/20070531/d5-gates-jobs-transcript/#more-130 スティ-ブジョブズがアップルの提供する一連のテレビCMに関してこんな発言をしていることに感心してしまいました。 そして、スティーブジョブズはビルゲイツとの関係をこんな冗談を交えて表現し、 さらに、ジョブズがクロージングの言葉として以下のようなコメントをした直後に、カメラはビルゲイツの瞳がウルウルしていたのを見逃さなかったのでした。 ある時期はとても攻撃的に見えた両者がお互いの功績を讃えて、認め合い、さらに輝いて見えるのはとても素敵なことであります。 では、ふるかわでした P.S. スティーブジョブズの最新スピーチ(@WWDC2007)はこちらにも
1月10日 CES2007 ビルゲイツの基調講演CES2007の開催日は1月8日ですが、前日の1月7日に恒例のビルゲイツによる基調講演が開催されました。 2年後に予定されている引退を控えてこれが最後の基調講演かもしれないということで、会場はの入り口は詰め掛けた人々で大混乱...私は3時間ほど列に並んで..なんとか会場の最前列を確保して写真を撮ったのでした。 基調講演の内容は、マイクロソフトのCESオフィシャル・ホームページにそして基調講演の内容はストリーミングビデオにて、同ホームページからリンクされています。(直接の再生はこちらに)。マイクロソフトが、まるでYouTubeのようなサービスでも始めたかのような、CESブログにはさらに詳細なビデオ情報が満載であります。 このページからのリンクは無いのだけれど、スピーチの内容を書き起こした文章はこちらに、(http://www.microsoft.com/presspass/exec/billg/speeches/2007/01-07CES.mspx )あります。 NIKKEI NETのIT+PLUSに速報がアップされています。 (http://it.nikkei.co.jp/pc/news/index.aspx?n=MMIT1i000009012007&cp=1) そしてインプレスのPCWatch の記事がとても良くまとめておられるので、こちらもご参照ください。 同記事にも記載があるように、2008年の1月にはもう一度基調講演を引き受けるけれども、2009年にはソフトウェアではなく伝染病の話をしてしまうことになるから...2009年はきっと招待されないだろうなぁ...なんてことを、ビルゲイツは語っておりました。 追記:2007年1月10日19:50、他のメディアによる記事一覧を追加します。 発表の内容は上記に譲るとして、個人的な感想はチョッと時間を置いてアップすることにいたしましょう。 まずは、いくつかの写真をフォトアルバムにアップします...注:何度も試みましたが、Windows Live Spacesの不具合にて「フォト」にアップロード不可能でした。数点だけ本文にアタッチします。(写真を拡大して見ることができないMacユーザーの方々、申し訳ありません。)...今確認したところ、失敗した後に空のファイルになったり、アップロードした写真の一部だけが登録されたり(タイトルを勝手に「1月10日」と付けて異常終了したフリをしながら、写真は公開されてしまったようです。)...まぁ、いいか、タイトルはそのままにしておきます。
では、ふるかわでした P.S.睡眠時間を削ってまでラスベガスから写真のアップを試みていますが、何時間に渡り何回もアップロードが終了するたびに、以下のメッセージで遮断されます。以下の理由がいずれも該当しないのは明らかで...アップロード不可のままで、いくつかの機能が未だに壊れたままでは、本当にブログの引越し先を考えざるを得ない状況であります。 ----------以下、エラーメッセージ----毎回何十分もアップロードで待たされて、最後にこれが表示されます。---こんなことで徹夜を続けていたら、早死にしてしまいそうなので、もう寝ます------
選択した写真の一部をアップロードできませんでした。以下のいずれかが原因として考えられます。
写真のアップロードをやり直すには、[再試行] をクリックします。[フォト] ページに戻る場合は、[キャンセル] をクリックします。 -----以上、エラーメッセージ終わり---- P.S.2 そう言えば、トラックバックも1ヶ月以上、登録できない状態ですねぇ? 上記のエラーメッセージの「1ヶ月の上限?」...今月初めて使ったのにねぇ...なんじゃそれ? 6月29日 私の知っているビルゲイツ、その181986年5月1日、いまから20年前のこと、マイクロソフトは8年間に及ぶ㈱アスキーとの代理店契約を解消して、日本法人マイクロソフト株式会社を設立しました。会社登記は、1986年の2月26日なのだけれど、実際のオフィス開設、会社としてのオペレーションを開始したのは5月1日で、私が初代の代表取締役社長に就任しました。(カルトQ的には、2月26日から4月31日までは、シアトル本社に勤務するロナルド(Ron)細木という日系人が会社登記のために就任した初代社長なのでした。まぁ、私は第2代社長でしたと言うと話が混乱するので、初代社長と名乗っておりますが...)。
5月の連休中に会社をスタートして、まず最初に実施したことは社員とその家族向け保護者会(?!)、若い社員が多くご両親にとっては息子・娘が外資系の聞いたことも無い会社に就職して不安に感じておられるとか、結婚したばかりでパートナーが転職に不安を感じておられるのではないかと考えたので、家族を連れて会社見学会をしようと5月の連休中に企画したのが家族のためのオープン・オフィスでありました。1日オフィスを家族のみなさんに開放して自分の子供やパートナーがどのような会社に勤めているか見学をして頂く、私から会社概要なり、経営方針を家族の皆さんに説明をする、なんてことをいたしました。 ㈱アスキーから出向扱いで参加してくれた18人と新規採用の数人でスタートを切ったマイクロソフト㈱の最初のお仕事は、1986年5月12日(月)に帝国ホテルで開催された「設立記念パーティ」でした。 連休明けの5月12日に業界のトップの方々に出席をお願いにあがり、失礼の無いおもてなしを準備するのは大変な作業で連休返上で全員が頑張っておりました。 ビルゲイツは5月11日(日)に日本法人設立後初めての来日を果たし、1泊2日の日程で「設立記念パーティ」に参加してくれました。 当時より、ビルゲイツは会社の中で日常的に発生したこと、出張中の出来事を詳細なメモに自ら記して社内回覧しておりました。会社の社長が自ら出張報告書を書いて社内回覧するなんて文化は、多分日本の社長には無いスタイルと当時から思っておりました。たまたま、私の退職にあたり昔の書類を整理していたら、ビルゲイツの出張報告書がファイルに入っているのを発見。会社の秘密に触れるというような要素は避けるとして、その報告書/メモに書かれているビルゲイツの思考と行動パターンから、彼がどのように30年間毎日どのようなテンションで仕事をしてきたかを読み取ってください。 5月10日、イタリアに滞在したビルゲイツは、ロンドン、アンカレッジ経由で成田空港に午後3時に到着しました。もちろん、直行便ではない乗り継ぎの連続で16時間ちかくのフライトに疲れも見せず、空港では2つのバッグ(黒いバリーのカバンと、代々家族で使ってきた年代モノの革鞄)を一つ私が受け取り、もう一つは自ら持ってワゴン・タクシーに乗り込んだのでした。(当時、黒塗りのハイヤーなど用意すると、なんでそんな無駄な金を使うのだ、とビル君は不機嫌になったので) 成田空港から東京へ向かう道の中で、会社が無事オフィス開設、営業を開始したこと、アスキーからの業務移管のステータス、組織構成、採用計画などなど説明をしておりました。長時間のフライトで成田に着き、なおかつその日は日曜日、そのままホテルに直行して休養するかと訪ねたのですが、ビルゲイツは「他にオプションはあるのか?」と聞くので、「開設したオフィスの見学をするなら今日しかないかも、明日はスケジュールが詰まっているから」と言うと、ビルゲイツは「オフィスを見たい」と言うではないですか...ホテルにチェックインする間もなく、そのまま千代田区三番町のオフィスへ5月10日(日)の夕刻オフィスに訪問となりました。 当時のビルゲイツの出張メモ(自筆)によれば、 - 日曜にも関わらず何人もの人間が働いており、モラルも非常に高いようだ、安心した。 - 働いている人間たちは、マイクロソフトの平均年齢と比べても若いし、経験も浅いので、中堅どころのマネージャーをどうやってリクルートするかが、大きな課題だろう。採用計画を具体的に示し、どの役職をいつまでに充足するか詳細なプランを提出するように.. - オフィスとして綺麗に設営がなされているが、各個人のパソコン設置、ネットワークの設定などまだ完了していないこともあるので、シアトル側からも支援をするべし - これから名刺や社内用の封筒などを印刷すると聞いているが、マイクロソフト本社は数ヶ月後に会社ロゴを新しいモノに変更するので、日本法人が今のロゴで印刷したものを数ヶ月後に全部廃棄して、捨てるとなると大きな無駄になる。ついては、米国本社から日本だけは先行して新ロゴを使ってオフィス用品を印刷し、名刺に使ってよいから本社マーケティング部からロゴの使用条件やロゴの印刷原稿を送るように。 - オフィスの賃貸料が高いのはSamの責任ではなく、選定したシアトル側のスタッフが選択したということは理解する..しかしながら、今後の採用計画に対してこのオフィスは広すぎないのか? フロアプランの中で、会議室の占めるスペースが何故こんなに広く、沢山の会議室を用意する必要があるのか、具体的に説明して欲しい。 - 電子メールの設定が旨くいっていないようなので、シアトルと相談して早急に解決するように.. - 経理処理のためにシアトル本社からの指定でニックスドルフ(独シーメンスの系列会社)を各国の子会社で導入していたのだけれど、ビルゲイツ:「これからパソコンで業務処理をしていこうという提案をしながら、何で身内は経理処理のためにオフコンみたいなモノを使っているのだ?」「値段も高いし、何で自らの業務システムにパソコンを使わない?」、おいおいビルゲイツ君、それは私の判断ではなく本社の経理部門が決めたことでしょ、怒る相手が違うってば..私はビルに 絶縁状を叩きつけられた時に、UNIXを日本語化し、informixの上で(株)アスキーの在庫システム、経理システムをDECのVAX11/780で運用した経験もあったので、「MS-DOSでもできると啖呵を切ってXENIXを捨てたから、こんなことになったのではないか?」「おいビル君、そのような業務はOS/2にお任せください、って外に語りながら社内ではオフコン使って経理処理かい?」と私が煽ってしまったものだから、出張メモには拳骨の飛ぶ方向が本社に向けて「身内がパソコンの未来を信じて、社内業務システムの構築にパソコン使わなくてどうすんの!!」という激が飛んだのでした。 16時間ものフライト時間で成田に着いたビルゲイツ、日曜の夕方からホテルにチェックインする前にこのピッチで仕事始めて、なおかつこんな詳細な出張報告書を本社のマネージャとも情報共有しているってことに…あれぇ、この会社の社長になると決して楽はさせてもらえないのだなぁ、と就任当時真っ黒だった私の髪はその日を境に白髪へと変わり始めたのでありました。 さて、1日明けて今日は帝国ホテルで「設立記念パーティ」の開催です。夕方の時間では、既に招待者の皆さんは既にスケジュールを埋めておられるだろう、と昼食の時間に合わせて開催(12時から午後2時)を企画しました。その前にビルゲイツは3本の取材をこなし、ソフトバンクの孫さんと会談しています。 当時、パソコン流通組織のチャンピオンとして一太郎の総販売代理権を持ち、ロータス1-2-3の日本上陸にも直接深い関わりを持っていたソフトバンクの孫さんとどのようなお付き合いをしていくか、アスキーからマイクロソフト㈱へのスムースな業務移管をどのように実施するか、その際にソフトバンクとマイクロソフトはどのような関係を確立すべきか、トップ会談の話が弾みました。そして、ビルゲイツは出張メモの中で「日本の代理店計画は日本のマイクロソフトに任せるけれど、我々は孫さんとはこのような付き合い方をしていきたい」と記し社内の情報共有を図っているのです。 そしてさらに、5月12日午前中のこと、次にお会いしたのがアルプス電気の山下事業部長、アルプス殿は8ビットBASICの時代からマイクロソフトの大事なお客様であったので、新規契約のサインをして意見交換をしました。(当時から、IBM、富士通、NEC,日立という企業とのお付き合いは既に確立していたのですが、それ以前からお付き合いのあった老舗の方々具体的には、SORD、国際電子、アルプス電気、ロジック・システムズ・インターナショナル、ワイ・イー・データ等の皆さんとの恩義を忘れずに人間関係を大事にしているのもビルゲイツ流でした)。 昼12時から開催された「設立記念パーティ」の会場では、氷の彫刻でパソコンとそれを操作する人間が削り出され鎮座しています。大塚商会の大塚実社長(当時)、東京大学の石田晴久教授、NECの水野常務、富士通の野沢取締役からお祝いのスピーチを頂き、会場にはパソコン企業から156名、ソフト会社113名、プレス47人、銀行・一般企業23名、その他17名の総勢356名のご来場者に参加いただきました。 私たちは、日本法人営業開始日から11日目、それも連休明けの月曜日の開催、ということで準備だけではなく、何人のエクゼクティブが実際に足を運んでくださるのか気がかりでしたが、当時のインテル・ジャパンの加茂社長、伝田取締役、アップル・コンピュータ・ジャパンのアレクサンダー・ヴァン・アイク社長、などなど多くの方々にご参集頂きました。 会場でにこやかに談笑するビルゲイツ君の写真、ブログでも既に公開済みなのだけど、その横に立つ私が神妙な顔というより、渋い顔をしているようにすら見える、その理由は.. その直前の会話を再現すると、 ビル「マイクロソフトが過去お付き合いしてきた大事な人と今後お付き合いしていきたい人、よくこれだけ短期間の間に集めたな、よくやってるね」 古川「そう言ってくれて報われるよ、ビル、今日のために会社設立から11日間、何人もの人間が徹夜の連続で頑張ったのだから」 ビル「ところで、総勢何人来場されているんだ?」 古川「現在、350人を超えたところ、と聞いてる」 (最終的には、356人) ビル「お送りした招待状で、来場されなかった会社や個人は...誰かな」 古川「パソコン協会会長の小林英愛さん、富士通の山本卓真社長は欠席のお返事を頂いている」 ビル「ところで、今日はお食事の質も最高で、お寿司や天ぷらまで出ているけれど、このパーティ総額幾らかかった?」 古川「帝国ホテルからの見積もりは、350人で773万円、最終的に750万円でお願いしますと交渉した。」 ビル「なにぃ、来場者一人あたり2万円だとぉ..そんな金額をかけるパーティなんて聞いたことないぞ」 古川「おいおい、ここは銀座で、それも由緒ある帝国ホテルのバンケット・ルームだぞ、場所代だけではなく、せっかく昼休みに昼食を食べずに来場して頂くお客様にそれなりのおもてなしをするのが日本の流儀だろ..」 ビル「その全てを理解して実施したとしても、一人あたり12000円(当時の100ドル相当)が妥当なところだろう、それを何で2万円もかけるのだ、バカモン..」(具体的にはFから始まる単語でイキナリ罵倒されるのが、これまたビルゲイツ流) 古川「ビルおまえなぁ、俺に社長を任せるといったら日本でのオペレーション全てを俺に眼を瞑って委(ゆだ)ねるって気持ちはないのか?」 ビル「お前を個人的に信用しているってことと、会社のガイドラインとしてどのような規律を会社が保つかは別の話だ...その意味では一人あたり2万円の交際費は高い..これは経費で落ちない接待費だろ、ということは会社の利益の1500万円相当が半分はパーティに、半分は税金に持っていかれて、たった2時間のパーティのために使われるってことだぞ..1500万円の利益をあげるために、幾らの売り上げが必要か考えてみろ!!!」 古川「ビル、もしこのパーティを夕方やっていたら1000万円以上かかっているぞ、帝国ホテルで日本のエクゼクティブを集めてパーティするのに750万円は安い、よくその予算でやったと褒めて欲しいくらいだ」 ビル「でも、一人2万円は高い」 古川「ビル、これ以上この件で責めるなら俺は、やってられねぇ」 ビル「沈黙...」 そしてその直後の写真が これ...ね、ビルは笑顔で私が渋い顔をしているのはそんな背景なのでした。 パーティの後、ビルゲイツはもう一度三番町の会社に戻り、社員のみんなと話をしたいと言い出し全社員の前で「この会社の目指すこと、みんなに対する期待、技術動向、お客様とどのような関係を構築して欲しい」なんて話をして、その後何人かの人間と直接会話..そして出張の報告書には「各社員のモラルは非常に高い、しかしこの部門とこの担当者は英語のスキルはともかく経験が浅いので、シニアマネージャーの充足をすべし、このセクションからの要望を受けてをシアトル本社から支援するように」という具体的な内容が詳細にメモになっていました。それはたとえば、マルチプラン(エクセル以前の表計算ソフト)の開発担当者から「毎回英語版のソースが更新され提供さる度に、そのソースコードを繰り返し、繰り返し日本語化する作業をしている、なおかつ英語版にあるバグ修正をローカルでパッチ(修復)しているのでその改修作業が米国版に反映されていない。ついては、今回アスキーから返却された日本語版ソースコードをMS本社で受領するにあたり、その中に含まれる日本語版への改造、バグ修正を本社のオリジナル・ソースに反映させ今後本社からレリースされる次期製品においては、繰り返し日本語化の作業を日本でしなくて良いように配慮されたし。シアトルの担当者は、即効日本へビジネストリップを計画して日本の開発部隊と連携するように!!」なんて文章が多岐に渡り緻密に記されているのでありました。 滞在中にした、ちょっとした茶のみ話もビルゲイツは忘れずに、「PC-98に日本語XENIXを搭載すれば、オフコンの領域にもビジネス展開できるかも」という話を聞いたがその可能性は米国や他の国でもあるのか調べてくれとか、「任天堂は次期のファミコンでどのようなCPUを使うか調査を開始しろ>古川、そしてそのCPUの採択時にマイクロソフトのOSを採用してもらう可能性は無いのだろうか?誰か任天堂との関係を既に確立しているのか?」「中堅管理職の採用にあたって、リクルート会社へのアプローチはどこを使っていて、どのようなステータスにあるのか?」「アスキーがMSX-DOSを8ビット用に提供していると聞いたけれど、それをNECのPC-88に移植することえによってPC-88と(PC-98)+(MS-DOS)のブリッジができないか?それをキッカケにマイクロソフトとアスキーの関係を良いものに保つことができないだろうか?」などなど、ビルゲイツ君、よくまぁそんなテンションで毎日仕事していて頭がおかしくならないなぁ、と思われる怒涛のような滞在だったのでした。 5月12日の午後、ビルゲイツは成田発のフライトでシアトルに帰っていったのだけど、そう一泊2日の滞在でこなした仕事の内容、時間の使い方と密度、社内で情報共有をするための出張報告書、経費に対する考え方、企業・個人との付き合い方姿勢、それら全てを「これがマイクロソフトのDNAだ」と社員全員に叩き込んで帰っていったのでした。 私は、「ヤバイ会社を引き受けることになったなぁ、こんなこと続けたら早死にするかも」と思ったものでした。 先週2年後の引退を表明したビルゲイツ、会社と財団に割り当てる時間は少しずつ変化したものの、昔も今も同じスピードで30年間走り続けたのだろうなぁ、ご苦労様とつくづく思うのでした。 そして、そんなマイクロソフトのDNAを維持して、出張の報告書を真面目に書いて社内回覧している人間が、今のマイクロソフトの社員には何人いるのかなぁ、とOBとして余計な心配をしている私なのでありました。 そうそう、日本のマイクロソフトの接待費のガイドライン、一日一人あたり上限を2万円にするって、社内規約はこのビルゲイツのメモに端を発するもので、Samのいう通り、時には一人2万円かかることもあるだろうけれど、まさかそれ以上使わないよね?という理解と合意で決定されたものなのでした。誰だぁ、そんなこと無視してハチャメチャをやっているのは?
では、ふるかわでした 長文にて失礼、こんな長い話はブログに向いてないかも、お昼休みか週末にでもご笑覧ください。もう遅いか?最後にこんなことを書いても..ごめんなさい、お仕事の邪魔してしまって... 6月16日 速報、ビルゲイツの引退ビルゲイツが引退するというニュースが飛び込んできました。 2008年7月を目処に引退して、財団の慈善活動に専念とあります。 ビルゲイツ自身の言葉では、「これは引退ではなく、人生のプライオリティが変わるだけで、MSがフルタイム、財団がパートタイムだったのが逆になるだけです。」「この先2年間の移行期間は相変わらず、マイクロソフトにフルタイムで貢献します」とも語っています。 アナウンスメントとスピーチはこちらに ビデオ会見(40分)はこちら、とそのスピーチ内容、ビル君、最後(hideki---さんのご指摘により修正)のバルマーを称え紹介するところでウルッときてます。 http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20143727,00.htm 6月9日 私の知っているビルゲイツ、その17放送と通信の話に集中していると、ついつい顔が厳しくなってきてしまうので、ここらで閑話休題、久しぶりに「私の知っているビルゲイツ」のお題より...今日はこんな話をいたしましょう。
飛び跳ねるって変なこと? スヌーピーの世界をご存知の方なら、スヌーピーやそこに登場するキャラクターたちがジャンプしている姿をよくご存知のことと思います。横方向に走り抜ける時に、ジャンプやスキップをする姿以外に、何かとても嬉しいことがあるとその場で飛び上がって喜びを表現する姿..(時には、今日の晩御飯はラザニアだバンザイって飛び上がっているのだけど)こんな表現をすることは3歳の子供ならともかく、それなりの年齢になると周りの眼が気になってしなくなってしまうものなのだけど.. ビルゲイツ君は、小さい時から飛び跳ねることを、自身の特技としていたフシがある..
子供の遠足や運動会でやる競技で、麻の袋やゴミ袋の中に両足を入れて袋の足を手で掴みジャンプしながら競争をするという競技がありますよね、その姿を想像してみてください。 ビルゲイツ君は昔から、その状態で一度のジャンプで袋の中から外へ飛び出すというワザを自慢にしていたそうな..この話は、ビルゲイツを語る色々な本の中で逸話として出てくるのだけど... もうひとつ、椅子を立っている自分の脇に置いて、助走したり、思い切り縮み込むこと無しにちょっと屈んだかなと思うとピョーンと椅子を飛び越えてしまうという特技も持ち合わせているのであった。もっともこの特技は、米国の有名な女性TVキャスター、コニー・チャンの取材時に調子に乗せられてTVインタビューの際にそれを披露したものの、その直後の辛辣な質問にインタビューの途中で席を立つという事件があってから、人前で披露することは無く、封印されてしまったとか..
そんな数々の逸話の中から..さらにとっておきの話を... とても大きな契約を取り付けた時にビルゲイツと数人のエクゼクティブは、ニューヨークのプラザホテルに滞在していたそうな...契約が締結できたことが本当に嬉しくて..まぁ、普通の感覚ならニューヨークの有名なレストランかBARを借り切ってパーティでもするのが当たり前なんだろうけれど、ビルゲイツ君ご一行様は、プラザホテルのルームサービスに電話をして、「エクストラベッドを沢山持ってきてくれ」と連絡したそうな、ホテル側は「それで何にお使いですか?」「とにかく、ベッドを部屋中並べて床が見えないようにしてくれ」とのリクエスト...それで何をしたのか? そう、お察しの通り皆で嬉しくてベッドの上でジャンプしたのだそうな...まるで、中学生か高校生の修学旅行で枕投げして遊びましたってノリでなんとも微笑ましいというか..
そういえば、ビルゲイツ君幼少の頃からトランポリンも好きだったという話を聞いたことがあったのだけど..ビルゲイツ君の自宅で開催されたパーティに伺った時にパーティ会場以外にいくつかのプライベート・ルームも見せてくれたのだけど...その中には、トランプのコントラクト・ブリッジをする部屋(ウォレン・バフェットとこの部屋でカードで熾烈な戦いをしているのだろうなぁ)、ホーム・シアタールームに、LIFEマガジンのバックナンバーが全て揃った書斎とか...その中のある部屋を開けたらビックリ、なんと部屋には何も無い体育館のような造り...んっ、ここで新体操?それともヨガ、エアロビクスでもするのかなと思ったら、なんと床一面がトランポリンなんだな、これが.. 普通トランポリンというのは部屋の一部に1mくらいの高さで設置されていてそこに階段で上ってするものなんだろうけれど、その部屋は入り口から入ったら同じ高さで床全体がトランポリンなわけ..階段を上る必要も無いし、スプリング隙間に足を挟む心配も、高いところから落ちる心配もないまま、その部屋に入ればいつでもトランポリンができる、つまちエクストラベッドを部屋に持ち込まなくても..
ビルゲイツ君は子煩悩なパパとして、子供たちと一緒にキャアキャア言いながらジャンプしているのだろうか?と想像してみたり...
最近はU2のボノや中国の胡錦濤国家主席がビルゲイツの自宅に訪問なんて話も聞くのだけど..ひょっとしたら、ボノとチャリティの話をしながら、中国の国家主席とは中国の著作権の話をしながら、例の部屋で一緒に飛び跳ねていたりして..何て想像すると可笑しいですね.. 中国の国家主席は外国の人と喋る時には、絶対に中国語でしか会話をせずに、必ず通訳を通してしか話さないそうですが…ある時、ビルゲイツ君に直接流暢な英語で喋りかけたそうな…何をキカッケにそこまでの意思疎通ができるようになったのか、興味深々でありますが、日本の総理大臣も英語で冗談かますぐらいになってほしいものですねぇ..
口の悪い連中は、飛び跳ねるのは、精神的に病んでいる証拠だの気質がどうのと言う声が聞こえてきそうだけど...大人になっても、ピーナツ(スヌーピー)の漫画にでてくるキャラクターたちが嬉しかったら飛び跳ねるって童心を保ち続けるのも、大事なことだと思うのだけど...
えっ、古川も飛び跳ねるの?って質問の答えは、私はこの2ヶ月の間にもイギリス、ラスベガス、シアトル、ニューヨーク、アルバカーキ、サンタフェ、コロラド、と飛び回っています。私の飛び方は垂直方向の縦乗りではなく、キャノンボール風の鉄砲玉っていう飛び方なのでしょうか
では、ふるかわでした 1月11日 ラスベガスより、CES2006のご報告、その1(再録)1月5日に投稿した本文が、何故か削除されてしまいました。自分の操作ミスかシステム上の問題か現在調査中ですが、元原稿の一部が見つかったのでここに再録します。日付が前後することと、せっかく頂いたいくつかのコメントがどこかに消えてしまいました。申し訳ありません。
----------- 新年あけましておめでとうございます。 しばらく、お休みを頂いておりましたが、今日からブログのアップデートを再開いたします。 世界最大の家電・コンピュータ展示会、「2006 International CES」が開催中で、13万人を超える来場者がラスベガスを訪れています。私も20年以上ほぼ毎年CESに訪問しており、コンピュータのみならず、オーディオ、テレビ、一般家電製品からコンポーネント技術を含む各分野の技術動向を捕捉することを毎年楽しみにしています。今回から数回に渡りCES2006における技術動向を本ブログに投稿していくことにいたします。まず、初回は1月4日の開催前日に講演された、ビルゲイツのキーノート・スピーチからご紹介をいたします。 スピーチの内容(英文全文)は以下に http://www.microsoft.com/billgates/speeches/2006/01-04CES.asp 基調講演の内容は合わせてWeb上のビデオで既に公開されています。 http://www.microsoft.com/events/executives/billgates.mspx 発表された内容の詳細に関して、以下のビデオが参考になると思われます。 米国のDirecTVと英国のSkyBとの提携に関して http://www.microsoft.com/winme/0601/26189/BillG-DirecTV_British_Sky_mbr.asx パーム社の携帯端末、TREOに採用されたWindowsモバイルに関して; http://www.microsoft.com/winme/0601/26189/BillG-Palm_Treo_700w_mbr.asx MSのデジタル著作権管理を活かした映像配信サービス、VONGOの紹介 http://www.microsoft.com/winme/0601/26189/BillG-Starz_Vongo_mbr.asx MTVとの提携 http://www.microsoft.com/winme/0601/26189/BillG-URGE_mbr.asx Windows Vistaの紹介 http://www.microsoft.com/winme/0601/26189/BillG-URGE_mbr.asx Windows Vistaのデモは、Cnetのサイトにも http://japan.cnet.com/video/story/0,2000055094,20093965,00.htm インプレスの基調講演レポート http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20060106/ces08.htm ASCII24の関連記事 http://ascii24.com/news/i/topi/article/2006/01/05/659857-000.html?geta Cnetの関連記事 http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000047674,20093912,00.htm CES2006の公式ホームページはこちらに 英語版:http://cesweb.org/ 日本語版:http://biz.knt.co.jp/pm/ces/ 添付写真は、私が撮影したものです。 Copyright(c)2006、Sam Furukawa 写真のみの無断転載はお断りします。事前にご一報ください。 では、ふるかわでした 12月14日 私の知っているビルゲイツ、その16「お前は裏切り者だ!!!」とビルゲイツに罵られるの巻 シアトルのこの時期は毎日灰色の空にシトシトと雨が降り憂鬱な天気が続きます。人口あたりの自殺件数が一番多いのがワシントン州であるということがよく納得できるような天気であります。サンクスギビングも終わり、そろそろクリスマスのデコレーションが街中に溢れて来ますが、その頃になると毎年思い出すのは、シアトルで開催されていた全社員を集めたクリスマス・パーティのこと…1984年のことです。 シアトルダウンタウンにあるフォーシーズンズ・ホテルは重厚な構えの格式あるホテルで、ロビー階に続く上階にガラ・ルームと呼ばれる晩餐会やパーティをする宴会場があります。 その場所で全社員を集めたクリスマス・パーティが開催されました。当時は全社員といっても1000人以下でしたので、現在のように競技場や野球場を借りなくても全社員が一同になってパーティなんてことが可能な企業規模でありました。たまたま、その時期に出張でシアトルを訪れていた私は、マイクロソフトの社員ではなく、代理店のアスキーマイクロソフト株式会社の副社長兼アスキーのソフトウェア開発本部の本部長という立場でした。そのマイクロソフトのクリスマス・パーティで皆と一緒に歓談をしている時のことです。ビルゲイツは私の顔を見るやいきなり近づいてくるではないですか..こちらとしては、今年の営業成績も全世界でトップクラスであり、日本のメーカーとの関係も極めて良好であったので、一年の苦労をねぎらってくれるのかな、褒められちゃったら嬉しいなぁ、などと思っていたらビル君私の方に向かって歩いているうちにドンドン顔が険しくなってきています。ついにビル君の顔と私の顔は30cmを切る距離間で睨み、いきなりビル君曰く「この裏切り者め、全て知っているのだぞ、オマェはMSの戦略に反してUNIXの日本語化などしているだろう!!!」 古川:「おいおい、バークレィ版のUNIXとMSのXENIXは日本語化しているけれど、マルチタスクマルチユーザーの要求はMS-DOSではカバーできないからやっているだけのことではないか?そのビジネスはマイクロソフトにとっても補完関係にありむしろMS-DOSを個人のターミナルとして企業で使えるようになり結果としてプラスになるではないか!!」 ビル:「…そういえば、インフォミックスもアスキーが代理店になってそれを売り込んでいるそうじゃないか?」 古川:「おいおい、ちょっと待ってくれマイクロソフトにはRDB(リレーショナル・データベース)が無いんだから、しょうがないだろう。RDB無くしてどうやって業務システムを構築するんだ?」 ビル:「俺たちには、カシミア(ACCESSの開発コードネーム)」がある、何でそれを日本語化して使わないんだ?」 古川:「それは、カード型もしくは表形式のデータベースだろ、おいビル君RDBって何か知っているんだろう!!」(注:その頃はdBaseII、R:Base4000とinformixが全盛でオラクルもSQLサーバーも登場していなかった) ビル:「…そう言えば、日本ではマイクロソフト・ワードの日本語化もしないでジャスト・システムからライセンスしたJS-Wordとか売っているという話を聞いているぞ!!!」 古川:「英語のワープロは日本語ワープロと入力方法も編集方法も文化が全く異なるのだぞよ…未だにマイクロソフト製のカナ漢字変換をMS-DOSに標準添付できない状態でどうやって日本語ワープロを提供するんだい?MS-DOS上の日本製アプリケーションの普及のためにもアスキーから開発援助をして日本のソフトメーカーにワープロを作ってもらってなぜ悪いんだ? 全く同じようにワードの開発チームにも日本語対応の打診はしたけれど、開発人員が足りないだの、日本の市場のためだけに特別なことはできないだの、という理由を聞かされたので、日本の開発メーカーに日参して開発を進めてもらっているんだ、それが結果としてMS-DOSの市場を育てていることになるではないか!!!!」 ビル:「お前の言っていることは、みんな言い訳に過ぎない、UNIXの件も、インフォミックスも、JS-WordもMSに製品があるのにそれに対抗する商品を担ぎ出している裏切り行為だ!!!」 古川:「ちょっと待ってくれよ、この数年のMS-DOSの成功とアプリケーション市場の開拓、ビジネス規模の拡大と、どれだけの成果を日本で達成したと思っているんだ? それを裏切り者扱いかい???」 ビル:「もう聞きたくない、とにかくこの場から消えうせてくれ、シアトルの地には二度と足を踏むな、それだけだ!!!」 というピッチで、今思いだしても涙がチョチョギレそうなほど、打ちのめされてシアトルの街頭に放り出されてしまったのです。当時ビルゲイツの秘書をやっていた、ビッグママこと”ミリアム・リュボウ”が、「サム何があったのか知らないけれど、アンタがマイクロソフトを裏切るようなことをするわけないわよね、私は分かっているからね..でもビルもああ言い出すと止まらない性格だから今日の所は引いておいたほうが良いかもしれないわね」 といわけで、シアトルダウンタウンのクリスマスのイルミネーションが付いた町並みを、涙で顔をグチャグチャにしながら雨の中を歩きまわり、家路についたのでした。 そして、ほぼ2年の間シアトルを全く訪れることなく、それこそ私は絶縁状態になってしまったのです。何でそのような誤解が発生したのかはともかくとして、その間2年間は西和彦さん統率の基にマイクロソフト本部が運営されMSXなどを推進..私は、UNIXやインフォミックスの日本語化以外にCANDY、InkPot、A1優、マルチプラン、マウス、JS-Word、TeXを活用した組版システム、社内業務システムの構築などに取組んでいました。 仕事の上でのすれ違いで、自分が裏切り者扱いを受け、米国の全社員の前で罵られるなんて経験をして、私はいつか対抗してやっつけてやるという考えではなく、いつか誤解が溶けて向こうから謝ってくるもしくは私を必要とする時代が来るだろうと淡々と仕事をしていました。自分の人生、何もかも旨くいった訳ではなく波乱万丈でもありました。現在自分の仕事が旨くいっていない、自分を活かせていないと思っている方…私の場合だってそんなジレンマで悶々とする時代もあったのですから…ドンマイですよ!! でも、ビルゲイツと30cmの距離で、「お前は裏切りものだぁ!!!」て罵倒されるのは、自分の経験したことのあるどのジェットコースターよりも、スリルのあることであったのは、まちがいないっ!!! では、ふるかわでした 添付写真、今日の夕陽 12月10日 私の知っているビルゲイツ、その15会社の金、個人の金…そのケジメについて...
マイクロソフトに入社した当時から会社のDNAとして感じていたことは、会社として個人として無駄な時間やお金は一切使わない、そしてそのルール適用に当たっては会社の職位や本社・子会社に関係無く、全てに対して厳しく管理徹底されていました。飛行機のフライトは米国では全員エコノミークラスで役職が付けば自動的にファーストクラスなんてルールはマイクロソフトにはありません。しかしながら、年間に4回以上の海外出張をこなしたり、今日入社したての社員でも明日の海外出張で早朝から会議があるなんて場合は国際線のビジネスクラスに搭乗することを出張規定で認められています。まぁ、会社のルールなんてあっても、ボスになると適当に運用しているのじゃないの?というのが世間で言う普通のパターンなのでしょうが、 マイクロソフト流というのは、こんなDNAなのであります。 1986年のマイクロソフト株式会社設立当初の頃、ビルゲイツ君は1年に2度3度と日本に訪問して会社の立ち上げを見守ったり、日本のPCメーカー殿に訪問したり、秋葉原や大阪日本橋を視察という日程を楽しんでいました。日本への出張期間中のある週末、何もすることが無いというスケジュールの時がありました。ビル君から、その週末に友人と京都へ行くので新幹線のチケットだけ手配してくれとの依頼があり手続きをしました。こちらは、どこかで迷子になってもいけないので、誰か京都まで同行しようか? ホテルから東京駅まで私が車で送ろうか?などと訊いたのですが、ビル君「大丈夫、土曜日に京都へ行って日曜の夜には東京で戻っているから、月曜日に会おう」..その後奥さんになるメリンダも当時はマイクロソフトの中堅マネージャーだったので一緒だったのかな?プライベートな旅行なら、余計な詮索もお節介は止めておこうと放っておいたのです。金曜日の仕事を片付けて、新幹線のチケットを渡して月曜の朝にはご機嫌で仕事に復帰…その朝一番に、ビル君「サム、新幹線のチケット代だけどさ、まだ精算してなかったよね?」、私は「あぁ、その件ならこちらで払っておくから良いよ」と言った瞬間にビル君の瞬間湯沸かし器が沸騰して爆発したのでありました。こういう時、ビル君、どこにいても歩いているのをピタリと止めて、眼を吊り上げ、いきなり私を罵倒するのであります。そんなことは何度も経験しているのではありますが、その度に命の縮む思いというか、きっと私の白髪の本数は(ビル君に罵倒された回数)X(徹夜の回数)なのでないかと思う勢いなのでありました。 ビル:「サム、こちらで払うってことはどういう意味だ?」 私:「だから、領収書もあるしこちらの会社で処理しておくよ」と言ったものだから、ビル君、完全にブチ切れています。 ビル:「サム、お前に任そうとしているマイクロソフトの日本法人では個人で使った金を会社で経費処理するなんてことをするのか?」 私:「ちょっと待ってくれよ、この会社は米国本社の100%子会社で、ビルはその筆頭株主さまで、オーナーでもあるわけだろ、その筆頭株主さまが日本で使った交通費を精算するのがそんなにおかしいことか? 別にその他の宿泊代や遊行費を会社で払おうとしているわけじゃないのだから!」 ビル:「京都へ行ったのは、プライベートな旅行で仕事では無い、その交通費を会社で精算するってことが当たり前になったら、きっと日本の社員も同じことをするようになる。」 私:「おいおい、俺たちはそんなバカじゃないぞ、そんなことを信用できなくて俺を社長にしたのか?」 ビル:「サム、お前を信用しているということと社内のルールを徹底するってことは別の話だ。とにかく個人で使ったものは会社で精算するなんてことは許せん、だから新幹線のチケットは自分で払う!!!」 私:「わかった、わかった、じゃ個人で払ってくれ。とは言っても、ビルお前のポケットに現金で日本円はないだろう、日本では個人のカードで精算なんかできないからな!」 ビル:「…」一瞬沈黙、あまり時間が経つと気まずくなるので、打開策として 私:「わかった、俺が個人的に立替ておくから、いつでも米ドルか日本円だ後から精算してくれ。」 ビル:「よし、それで良いのだ」 こんな話になんでまた、私はここまでビル君から罵倒されなきゃいけないの??? と時には思うのだけど、言われるままにしてちゃんと反論しておかないと“日本人は個人で使ったものまで、会社の経費で落とすのか”と思われるのは心外なので主張はしておかないとね..と思ったのでありました。その後、すぐに私個人で精算して立て替えておいたのだけど… ビル君、今日になるまで未だに立替えたチケット代、私に返して貰っていない..会社のルールや個人としての信義を重んじるビル君、個人の使った金は一円たりとも会社で精算しないという文化を自らの事例で社員に示したのは立派、でもねぇ、個人間の貸し借りもちゃんと精算しましょうね!!! 個人で飲みに行っても会社で精算したり、帰りのタクシー代まで会社で精算している貴方!! そんな方はマイクロソフトでは勤め続けるのは無理ですよ..と今でも言いたいところだけど… そんなDNAも創業当時は徹底されていたのだけど、今はどうなんでしょ? では、ふるかわでした 11月17日 私の知っているビルゲイツ、その14ビルゲイツは人と話をするのがとても好きです。そのスタイルもビルゲイツが一方的に喋るようなスタイルではなく、相手の話を引き出し自分の意見を述べ、一緒に考え相手が見つけた解に何か自分が協力できることはないかと提案するそんなスタイルで誰とでも会話をします。 マイクロソフトの日本法人ができた1986年から数年の間は年間に2回から3回ほどビルゲイツは日本を訪問していました。パソコンを生産されている企業訪問や取材だけではなく、秋葉原に出かけたり、マイクロソフトの社員とあらゆる会議に出席したり、社員との懇親パーティにも参加したりして、それこそ社員の一人ひとりと会話を楽しんでいました。ある社員がビルゲイツに近づいて名前と所属部署を語ったときのことです。ビルゲイツ君は「そう、頑張ってね」なんてありきたりの対応はしません..その時はこんなパターンでした.. ビル:「今どんな仕事をしているだい?」 社員:「私は購買担当です。」 ビル:「どんな購入品目を担当しているの?」 社員:「フロッピーディスクの調達やパッケージ商品用の仕込みを担当しています。」 ビル:「最近は、フロッピーはどこからいくらで仕入れているんだい?」 社員:「KAOさんから、仕入れています」 ビル:「KAOさんね、最近シアトルの調達もKAOさんから随分買っていると聞いているよ、それで1枚いくらなのかな?」 社員:「XY円ですが..」 ビル:「そうか、本社では沢山調達しているのでYZ円だけど、日本でXY円とはとても良い値段で仕入れているね」 社員:「光栄です。」 ビルゲイツ君がフロッピーを1枚いくらで仕入れているかってことを知っているだけでも、グゲっという話なのですが、本題はそこからなのでした。 ビル:「ところで、Windowsのパッケージにはフロッピー何枚入っているんだっけ?」 社員:「12枚です。」 ビル:「なんだと、米国版は6枚なのになんで12枚も必要になるんだ、えーっ?何でだぁーっ」 ビルゲイツ君、自分の感じた疑問を話しているだけなのだが、既に社員はビビリまくっているので、ちょっと私から援護射撃 古川:「ビル、日本のフロッピーは1.44Mbではなくて1.2Mbなんだ日本語化したモジュールを含めてOS部分に8枚、漢字のフォントに2枚、カナ漢字変換とその辞書に2枚で足したら12枚になるだろう。」 ビル:「おいおい、1.2Mbのサイズしかないことは当然知っていて質問してるんだ、漢字フォントは2Mbでカナ漢は1.5Mb足して3.5Mbの追加が何でフロッピー3枚に入らないんだ? 」 社員:「それは、2つの開発部門の担当者からマスターディスクとしてそれぞれ2枚ずつのマスターデータが納入されて、2枚が漢字フォントで、2枚がカナ漢字変換でして」 ビル:「せっかくKAOさんからとても良い仕入れ価格をオファーしてもらっていながら、3枚で入るはずのデータをミウチの開発分担というだけで4枚追加で入れていたら100万セット出荷したらいくらの損失になると思っているんだ!!!」 社員と私:「…」 ビル:「それより何より、購買担当者が社外の方と厳しい値段の交渉をして成果を挙げているのに、その同じ人間が同じ厳しさで身内の開発部門に“そちらで調整して、フロッピー3枚に納めて持ってくれ”となんで交渉しないんだ???」 社員:「それは、開発の方々は出荷まで忙しく製品レリースへ向けて頑張っておられて、一調達部門の人間が要求を出すような類の話では無いと思ったのです。」 ビル:「それは、間違いだ!」 相当なテンションではあるのですが、まぁ罵倒するというほどのことではなかったのですが、ビルゲイツ君社員全体のパーティですから見渡せば、Windowsの開発者も、カナ漢字変換の担当者も同じ部屋にいます。 ビル:「おーい、各担当者、ここに集合!!!」 手には、ビール缶を抱えたままさっそくの検討会議 ビル:「各人がプロとしての仕事をするには、購買調達担当者でも技術の人間に自分の仕事をを全うするために、社外よりさらに厳しい眼で社内の人間と交渉に当たるべし、良いな」 社員:「うーすっ」 ビル:「開発の人間は、良いコードを期日通りにレリースするだけではなく、そのレリース・マスターがコストにどういうインパクトを与えるか配慮すべし、良いな」 開発:「うーすっ」 ビル:「では、実際のアクションプランはお前たちに任せるので、ゴールは理解できたな?」 全員:「うーすっ」 このような会話をしている時は、この会社は外資系ではなく体育会系でしょ? そんな話を5分と少しの間に解決すると、パーティ会場の中ではもう次の話題になっているのです。 ビル:「ふーん、ところで君はどんな仕事をしているの? マニュアル? 翻訳のコストって1ページいくらなんだ? へぇー、フランス語やドイツ語の翻訳に比べてなんで日本語は高いのだい? 機械翻訳が使いものになる日は来ると思う?」なんて話を次の人としているのでありました。 そんなスタイルなので、マイクロソフトは開発に従事する人間だけが優遇されたりビルゲイツの関心事ではなく、全ての人間があらゆる側面で会社なりビルゲイツからプロフェッショナルに仕事をするというDNAを叩きこまれるのでありました。 入社時の面接だけではなく、そのようなテンションでそれぞれの仕事に対する誇りと自分がかけがえない仕事をしているという充足感が生まれるのでした。 上記の会話を楽しんだ半年後、また来日する機会のあったビルゲイツ君、調達担当者の社員に遭遇した瞬間に ビル:「おぅ、久しぶりだね、その後フロッピーは11枚に納めることができたのかい? 」、 担当者「はい、3ヶ月前の出荷分から実現しております。」. .ビル:「そうかそれは良かった、最初の3ヶ月でYZ万セットの出荷だから、KYZ万円の損失で抑えることができたのだね..その後いくらセーブできたんだっけ、ところで今月はフロッピー幾らで仕入れてるの?」 ビル君、それ以上するとイジメだから、そこらで許してあげてちょーだい、と私はいつも思うのだけど...あのビルゲイツ君に自分のやっている仕事の中身とその成果に関心を持ってもらい、適宜な助言を貰うことを楽しんでいる社員が沢山いるのがマイクロソフト流なのです。 きっと、会社の外から見ているとビルゲイツ君、なんにでも癇癪をおこし自分で決定したことに社員は服従しているかのごとく思っている人も沢山いるのでしょうが..ビルゲイツと共に仕事をすると、開発も営業も調達部門も社長もみんな同じ醍醐味と達成感を味わえるのでした。 では、ふるかわでした 11月5日 私の知っているビルゲイツ、その13マイクロソフト株式会社の社長を引き受けたのは1986年5月のこと、7月の誕生日前だったので当時の私は31歳、もちろん髪の毛は真っ黒でありました。社長の仕事として1年に一度とても厳しい立場に立たされるのが年度予算会議の席でありました。予算会議の中では1年間の事業報告と市場の動向、製品計画、マーケティング・プラン、売上・利益予測、採用計画、などなどあらゆる分野の資料を準備し事業計画をビルゲイツ、スティーブバルマーを始めとする10人ほどの本社エクゼクティブの前でプレゼンするのでした。現在では事業規模も大きくなったので、経理、営業、開発、マーケティングの各担当者がそれぞれの分野で事業計画を説明することになっているようですが、1986年当時は各国のマイクロソフト現地法人社長が一人だけで本社エクゼクティブを口説く、説得する機会なのです。それは、裏を返せば本社にとって各社長の首実験、つまり過去の1年間の実績は満足いくものであったか、来年度もこの人間に社長を継続させようかという最終判断の場でもありました。 毎年、その季節になると用意しなければならない資料の数は尋常ではなく、最終的に提出する書類の厚さだけでも5cmほどの厚さとなります。その各ページには、プロダクツごとの製品仕様、開発スケジュールから、マーケティング策、売上げ利益予測が詳細にシミュレーションされ、マクロ的な経営方針から微々細々に渡る内容を全て掌握して会議に望まなければなりません。そのストレスたるや、社長を務めた5年間で髪の毛がほとんど真っ白になったほどでありました。その手厳しさたるや… 古川:「来期は電話のサポート体制をさらに充実させるために、現行のXY人に対して5人の増員を提案したいと思います。」 ビルゲイツ:「現状のXY人は、一日に何本の電話を取っているんだ?」 古川:「1日にZZ本です」 ビルゲイツ:「電話を受けているのは24時間かそれとも9時―5時なのか?1本あたりの平均通話時間は何分だ」 古川:「現行では9時から5時です。 1本当たり22分が平均と聞いています。せめて夕方7時まで電話を受けられる体制にするには、後5人の増員が必要と考えますが」 ここから先が、ビルゲイツ君は田丸さんとの神経衰弱と全く同じパターンで一挙に攻めに入ります。 ビルゲイツ:「サム、現行で9時から5時までの間に電話を平均22分でZZ本、XY人で受けているとなると、1時間の昼休みと午前午後に30分の休みを考慮しても9時から5時の間に3時間は何もしていない時間があるではないか、その3時間に電話を取る人間は何をしているのだ?その時間を有効に活用すれば、あと電話をYY本多くサポートできる余裕があるはずで、なおかつ22分かかっている1本の電話を20分ですませば、それで生成できる2分かけるZZかけるXYは新規に雇う人間の(総労働時間-3時間)三人分を捻出できるという計算になるはずだぁ、だから5人の申請は却下2人の追加しか認めない」 なんて風に一気に押さえ込まれるわけであります。そこをあらゆる理由を考えて押し返していくのが社長の手腕というわけであります。 その話題と問題にされる事象の細かさは尋常ではなく、たとえば紙のコピー代金の話でも… ビルゲイツ:「サム、MSKK(マイクロソフト株式会社の略称ね)はなぜこんなに膨大な金を紙のコピー代金に使っているのだ?」 古川:「マシンのリース代金がXYZ円毎月リース代としてコスト計上されているので、マシンを購入した減価償却ではなくリース代が毎月のコピー代金に加算されているのであるぞよ、この方法を持ってすればリース代は毎月のコストとして計上できるのじゃ、参ったかぁ、ふふっふ」 ビルゲイツ:「サム、待てぃおぬしその結果リース会社から請求される月々のメンテナンス代とリース料の切り分けが不明瞭でこれだけのコストになっているではないか、それにリース契約の一環として購入している紙は1枚あたり幾らと算出され、この価格は米国の1枚あたりの紙のコストと比べると3倍以上だ、この値段を交渉してY円まで下げたとしても5年間の間にDEF万円の出費となる…もし現在のリースを解約して新規にコピーマシンを購入して1枚Z円の紙を使い、月のメンテナンス料をいくらで納めればDEF円がLJK円で済むはずじゃ」 古川:「ビルそれは無理無理、リース契約を解約するとその違約金で結果としてKLM円の損が発生するから」 ビルゲイツ:「一瞬にして頭の中で計算して、お前KLM円の解約料なら解約してコピーマシンを新規購入すれば、それでもXXX円のコストセーブになるのが計算できんのか?」 古川:「お前の頭の中は、表計算でも入ってるのか?ビル?日本の企業との付き合いで、コストが高いから即リースをキャンセルします、他の企業からコピーマシンを購入しますってのは企業同士の付き合いを悪化させるではないか?」 ビルゲイツ:「今のリース会社とそのまま付き合うのはお前の勝手だが、他の方法でいくらのコストセーブができるはずだと、そのリース会社に説得して月々のメンテナンス料を幾らまで下げてもらえ、そうすればリプレースしなくても幾らの差額ですむはずであるから...」 という話の応酬が4時間以上続くわけであります。この手のテニスラリーのような会話はビルゲイツだけではなく、スティーブ・バルマーを始めとする10人ほどが自分の一番得意とする領域でガンガン質問を投げてきて、それに全て返答しないと撃沈、退場ということになるのです。 それと比べれば私が採用面接で使っている質問攻めなんて軽い軽い!!! 5年目の予算会議、その年もまた数週間に渡る徹夜の連続で仕上げた数字とプランを持って会議に臨んだのですが、あまりにも激しい応酬に血圧最高、血管ブチきれそうになった瞬間、本当に「プチっ」という音がして何とお尻から下血、それもこれって「Kill Bill」の一シーンなのというような勢いで…予算会議の途中でついに私は「おい、このまま予算認めて通してくれないと、後5分以内に俺はこの場で死ぬぞーぉ、早く承認として救急車を呼んでくれぃ」と叫んだまま…ほぼ失神状態。 ひとまず、むりくり予算を通してもらい、お尻の手術を済ませて退院した後…最初のビルからのメールは「サム体大丈夫だった、退院おめでとう..ところでコピーマシンは同じリース契約を継続しているのかい?」..今は、ビルゲイツ君チーフ・ソフトウェア・アーキテクトとして技術の話以外には首を突っ込んでこなくなったけれど…それは貴方のタレントを活かすには賢明な策だと思いますよ。 では、ふるかわでした 11月2日 ビルゲイツ君、田丸美寿々さんと対決するの巻今から7、8年前のことだったでしょうか、TBSの田丸美寿々さん(「報道特集」キャスター)がビルゲイツ君をインタビューすることになって短期間の日本滞在の間をぬって赤坂のTBS本社へ伺いました。ちょうど、その直前に米国のニュース・キャスター、コニー・チャンさんの取材途中でビル君はある質問にいたくご立腹、胸に付けたマイクロフォンをむしり取ってインタビュー室を後にするなんて行動に出てしまいました。その経緯が新聞のコラムなどにビルのキャラクタとして面白おかしく書かれるなんてことがあり、日米の広報担当者は非常にピリピリしていました。特にTVのインタビュー取材では、インタビューされる局の背景やジャーナリストがどのようなタイプなのか事前に調査し、全てを穏便にすまそうという雰囲気が漂っていました。 ビルゲイツ君本人は、コニー・チャンさんの事件に関して、そこまでの行動に至る十分な理由があったと理解していて、 1. ある質問にビル君は誠意を持って答えたのに、同じ質問を何度も繰り返しコニー・チャン記者が事前に持っているある種のバイアスと予見を追認させようとムリヤリ何回も迫っていたのでした。その迫りかたは、「貴方は、私の質問に今XYZと答えたけれど、本当は都合の良いこと言っているだけで本心はこうなんじゃない?」。この種の質問をする人って、もう原稿は自分の予見で頭の中にあってそれにそった結論を引き出すためにアリバイ作りのために繰り返し、質問をしたものだからビルゲイツ君相当イライラしていたのでありました。 2.そこへさらに、コニー・チャンさんはビルゲイツに向かって「貴方の仕事上の競争相手に対する迫り方は、まるでジャックナイフを持って決闘し、相手を刺し殺すまでトコトン追い詰めるなんてやり方をするって、聞きますよ」とたたみかけたのでありました。自分たちのビジネスは人をナイフで傷つけるなんてことと一緒に論じられては困ると返答をしたうえで、最後の一瞬、「同じことを繰り返し質問するのであれば、その全てに対して誠意を持って回答したつもりなので、ここで失礼する」とマイクを投げ捨て、部屋から出て行ってしまったのでありました。(米国本社でのこと) 東京出張中でのインタビューとはいえ、今回も女性キャスターで敏腕ジャーナリストとしても有名な田丸美寿々さんのこと、最後にどのようなキワドイ質問がでてくるやも知れず..と米国から同行してきた広報担当者はピリピリしています。TBS側も田丸さんも、そこらの背景は十分理解されてインタビューは理路整然とカッチリ収録され無事終了、みんなホットしてビルゲイツ君もご機嫌でそろそろホテルに帰ってメールでもしたいという雰囲気..ところが、田丸さんとTVプロデューサーの方が何やら話しこんでいます。そして、田丸さんいきなり私のところに歩み寄ってきて「古川さん、インタビューの内容はキッチリ押さえたのだけど、映像の上でビルゲイツの人間性を表現する絵が撮れていないの、もう少しビルゲイツさんの時間を頂いてビルさんの性格がにじみ出ているようなシーンを撮らせてもらえないかしら?」「んっ、それはどういうことでしょ?」と私.. 田丸さんは、ポケットからトランプを出して「ビルゲイツさんは、昔はポーカー、今はコントラクト・ブリッジとか好きと聞いているのだけど、私とビルゲイツさんで“神経衰弱”で勝負できない?」 うーん、田丸さんってばポケットにトランプが入っているってことは最初からその気で勝負をしかけるつもりだったのかな..そこで「何とか、米国の広報の方とビルゲイツさんに、あと10分ほど頂いてトランプゲームをするシーンを撮らせて欲しいと、古川さんから説得してよ!!」..何でそういう話になると私にお鉢が廻ってくるのだろうか、広報の連中に聞けば…「もう。予定通りのインタビュー時間が終了しており、これ以上予期せぬことにビルゲイツの時間を割くことは絶対ダメ」と強引...何とか、私がビル君は「別に良いよ」と言わせれば文句はないでしょ、と説得を続けビルゲイツ君にその話をしたところ、とても渋い顔..私が何でと聞くと「その神経衰弱とかいうゲームのルールを知らないので、TV撮影の前で恥をかかされるのはイヤだ」..それでは、TBS殿と田丸さんに、「ビルゲイツはやりたくないって言っています、では今日はこれで失礼します」というのも一理なんだけど、それ以前に色々なプロジェクト(双方向性TVの実験など)でTBS殿にはお世話になっていたし、田丸さんの「古川さん、お願い」とウィンクされれば、ヨッッシャー、という気持ちで再度ビルゲイツ君を説得、彼は相変わらずブーブー言いながらテーブルに付いて「神経衰弱:ビルゲイツ君 対 田丸美寿々さん」がスタートしたのでした。 ビルゲイツ君、神経衰弱をするのは始めてらしく、田丸さんが女性の感で最初のペアをそして4つぐらい専攻してペアを取っていくうちにルールとロジックを完全にマスターしていたようです。終盤戦に近づいても手堅くワン・ペアずつ押さえていく田丸さんに分があるように見えていました。 あるタイミング、ビルゲイツ君「サムそろそろ一挙に片付けて帰るとしようか?」と言った瞬間に連続して残りの20枚以上の札を全部総取りでそれぞれのペアにしてしまいました。 撮影したビルゲイツの映像は、そのルールを習得するまでの考え込む姿、ルールを理解してから熟考して、ニヤリと笑った瞬間に一挙に勝負に出て、最後には子供がメンコでも勝ち取ったような顔をしているシーンを撮影することができました。 その時思ったことは、負けず嫌いのビルゲイツ、そしてルールが判るまでじーっと我慢して、いざとなると全力で勝ちを取りにくるっというのは、ビルゲイツ君、貴方の仕事のスタイルそのものじゃやない?と思ったのでした。 昔、OSの環境下で複数のフォント(書体とサイズ)が扱えるようになるべきだと主張する私に、「そんなもの要らない、何故コンピュータに2種類以上のフォントが必要なんだ? 文字と数字が読めればそれで十分..」という論点でメチャクチャにぶつかりあいもしました。インターネットとTCP/IPをWindowsで採用するか、そのような議論の際にもビルゲイツは自分が関わるべきタイミングまでジッと我慢して行動に出ず、ルールを確認し待ちの状態に入ります。そして、ここで勝負に出るぞと決心したときには、一気に勝ちを取りにいく... 私だったら、残りの20枚を全部取らなくても勝ちが決まっているのなら、最後の4枚くらい田丸さんに残してワザと間違えてみる、なんてことしちゃうかな.. では、ふるかわでした 10月28日 私の知っているビルゲイツ、その12ビルゲイツ、自分の限界を知りプログラムを書かなくなったわけ 注:今日のブログは、フォント指定を外してみました。文字が大きすぎると思われる方は「表示(V)文字サイズ(V)」もしくは他のブラウザのフォントサイズ指定で好みの大きさに変更してご笑覧頂ければ幸いです。フォントサイズ変更後に改行位置や行間スペースがおかしい時には、当該ページの「更新」表示(V)最新の情報に更新(R)もしくはF5キーを押す(IE以外のブラウザの方は同様の当該ページ再ロード機能を選ぶ)と正しく表示されることがあります。 1970年代の後半から1980年代の初頭においては、㈱アスキーがマイクロソフトの代理店として活動していた時代がありました。その頃は西和彦さんが次々と日本の会社へのアプローチを実現し、多くの日本人プログラマが日本だけではなく、アメリカに長期滞在して日本向けのBASIC言語その他の移植作業をしていました。1982年前後はIBMPCの出荷に併せて日本のメーカーによるIBM互換機の投入に並行して、8ビット機としての終焉を飾るPC-88シリーズから、世界初のGUIべースのパソコンPC-100, 日立のBAISCマスター、沖電気のif800、NCR9005、YE-Data、ALPSなどのハードウェアが次から次へとシアトルのマイクロソフト本社に持ち込まれBASIC言語の移植に日夜、日本人も関わりを持っていました。当時の開発環境はDEC社のSystem2060という36ビットワードマシンで、日本では第5世代のコンピュータ開発のためにPrologueなどを運用していましたが、このマシンをクロス開発環境に利用して6809、Z80, 6502、8085用のコードを生成していました。 当時京セラ殿が開発し、米国ではTandy Radio Shack社からM-100として、NEC殿からはPC-8200 の名前で出荷されるはずの世界初ラップトップ・コンピュータの開発に取り組んでいました。主たる機能は、CPU: 80C85 (沖電気製CMOS 8bit、クロック2.4MHz), ROM:32Kb、RAM:8Kb、白黒液晶(640x200)、ソフトウェア: model 100 BASIC(マイクロソフトBASIC)、TELECOM(通信ターミナルソフト)、TEXT(スクリーン・エディタ)、SCHEDL(スケジュール管理プログラム)、ADDRESS(住所録プログラム)、単3電池4本にて18時間駆動。限られたメモリスペースの中で(なにせ、提供される全てのプログラムサイズは32Kbで、MバイトでもGバイトでも無く、32Kbという今のご時勢ならデジカメの映像どころか、ホームページに張り付いている小さなJPEGファイル以下のサイズに、前述のBASIC言語、簡易ワープロ機能、スケジュール管理、通信、住所録を全て押し込んでいました。 この開発には、当時の㈱アスキーより、山下良蔵氏、鈴木仁志氏、林淳二氏の三人がシアトルのMS本社に派遣され、数ヶ月の間マイクロソフトBASICのソースコードをベースに全ての機能を32KbのROMに凝縮していったのです。ビルゲイツも西和彦さんもこのプログラマー三人には全幅の信頼を寄せていましたが、マイクロソフト全社員の数も300人以下でしたが、1983年というタイミングでは既にIBMPCも発売されて2年が経過しており多くの技術者がMS-DOS, XENIX(マイクロソフト製UNIX), ワードやマルチプランなどのアプリケーション、Oki if800, PC-8800, NEC PC-100, MSXなどの開発に従事しておりM-100の開発は日本人三人の力に全てがかかっているという状態でした。 毎日更新アセンブルされる、その日出来立てのソフトウェアそれもたったの32Kbを日本まで送る国際データ通信も無く国際郵便はコストも時間もかかるご時勢でしたので、出来上がったプログラムをROMに焼き込んで、毎日昼ごろシアトル空港に出かけて東京行きのフライトに乗り込む見ず知らずの日本人観光客に「成田に着いたらこの封筒をポストに投函してもらえますか?」と頼みにいくのも私の仕事でした。(当時は、アスキーマイクロソフトという会社の副社長で営業担当) プログラミングも佳境に入って、三人のプログラマーがシアトルで不眠不休の努力をしていたのでした。時々ビルゲイツは開発の途中経過をレビューしたり、プログラミング上の助言を与えたり、他のプロジェクトでは自らコーディングをしたり、などという関わり方をしていました。ビルゲイツはその当時もマイクロソフトBASICのプログラム全てのソースコードを頭に入れていましたから、無駄なコードは1バイトも無いギリギリのコーディングをするということに全社真剣に取り組んでいました。しかし、M-100 のプログラム格納スペースはたったの32Kb全ての機能を押し込むには、何らかの犠牲が必要で最終段階でもテキスト編集はカーソルを画面に自由に動かして編集するスクリーン・エディタではなくライン・エディタ(編集するときは、行の先頭から1行分しかできない)という編集ソフトを何とか納めていた状態でした。 ビルゲイツはこのプログラムのソースコードを1行でも削ることができたら、1行あたり50ドル払っても良いなんて懸賞を社内に張り出すも大きな進展が無いまま納入期限が迫ってきます。シビレを切らしたビルゲイツ君は日本人のプログラマー達に「お前らが無能だから32Kbに納まらないんだ?この俺様が週末にでもチョットプログラムを書けばこんな仕事はアッと言う間に解決してしまうのに、ヘッポコ・プログラマー(えーと英語にヘッポコという表現は無いので、Fから始まる4文字言葉だと思ってください)に任せているから無駄に何ヶ月もかかってしまった、と体を震わせながら怒りまくっていました。 そうまで言われるのならと、三人の中でもとりわけ天才プログラマーとしてその実力を私もかっていたJay鈴木こと鈴木仁志が、「ビル、だったらこの週末に勝負しましょう!!」と提案して、Jayは本当に月曜日の朝32Kbにコードを納めて完成させてしまったのでありました。ビルゲイツ君というと、彼は一瞬頭の中でこうすれば解決だとアイディアが浮かび月曜日にはプログラムこそ一行も書いていなかったのだけど、月曜に三人のプログラマーを集めて会議室のホワイトボードに自慢げに自分のプログラミングを一挙に書き上げました。ビルゲイツ君の顔は「どうだ見たか?無能なお前らと違っておれこそ天才なんだ!!」と勝ち誇ったような顔をしていました。 それをジーッと見ていたJay鈴木は突然閃いて、「ビル、そのやり方だと旨く動くと思っているだろうけれど、残りのRAMスペースが足りなくなった時にリプレースコマンドが動かなくなると思うよ!」と一言..8kbしかない内部メモリはファイルをセーブする領域にも使っていたので、その指摘は正しくてビルゲイツ君の完敗、Jay鈴木のコードが結局使われることになって三人は勝利の祝杯の代わりに「イースターエッグ」という開発に関わったエンジニアがコッソリ自分たちの名前を暗号化してコードの一部に焼き込んで、特殊なキー操作をすると製作者名が画面に表示されるものに三人の名前を焼きこんでプログラムを完成させました。 ビルゲイツ君の完敗なので、ビルゲイツ君はJayに報奨金の500ドルを小切手で渡してJayのオフィスの壁には戦利品としてしばらくその500ドル小切手が貼ってあったのだけど、ほどなく全部飲んでしまったとのこと、もし上場前のマイクロソフトの株券で500ドル分もらっていれば、今なら数千万円になっていたかもねぇ..Jay曰く、一行削ったら50ドルというはずなのに500ドルで済まそうというビルは渋い.. 最後のオチは、ビルゲイツ君これを最後にマイクロソフトに働くプログラマーに対して、お前がバカだから俺が代わりに書いてくると言って自らプログラムを書くことを辞めてしまいました。小説家の断筆宣言みたいなものね..後に自分でマイクロソフトの歴史を語る中で、ビルゲイツは「IBM PC発売後も1983年頃まで自分でプログラムを書いていましたよう、最後に書いたプログラムはTandyのM-100用かな?」なんてインタビューを受けているのですが、Jay鈴木に言わせると「ビルゲイツのコードはオリジナルのBASIC以外に一行も入っていない」と断言するのですが、ビルゲイツ君が最後にやったお茶目なシカケは..このプロジェクトに自分もそれを愛して自ら関わりを持ち、コードは書かなかったけれど自分だってチームの一員だったという自負心だったのでしょう。せきほどのイースターコードの中に焼きこまれた名前「Rick Yamashita, Jay Suzuki, Junji Hayashiの最後にちゃっかりBill Gates」って自分の名前を追加してあったそうです。 プログラミングの実力で自分が若い人間に負けたと思った瞬間に自分は一歩退いて後輩のその任を譲る、ビルゲイツ君にもそういう思いをする瞬間があり、そのキッカケを作ったのが日本の天才プログラマーであったのでした。その後もしばらくの間は、「お前らバカじゃないの!!!」と人を罵倒することはあっても、「俺にやらせろ、月曜の朝までにおれが書いてくるから」とは決して言わなくなったのでした。でも、チーフ・ソフトウェア・アーキテクトというタイトルになった今も、昔プログラマーだった頃の眼力で議論に加わってくるので、若い皆も手が抜けないし兄貴分として良い助言者で在り続けられるのだと思います。 では、ふるかわでした 10月18日 私の知っているビルゲイツ、その11ビルゲイツ君、セキュリティ・ガードの人に叱られるの巻 昔NHKのドキュメンタリーや番組制作に、TVディレクターの魂を感じることが出来た次代に「電子立国」と「新・電子立国」という番組があったのを覚えていますか? その昔、相田 洋さんという数々の賞を受賞している敏腕プロデューサーと 大墻敦さんという、当時はまだ若い(現在は、シルクロードなども手がけているけれど)プロデューサーのペアで、マイクロソフトを取上げて頂いて「ソフトウェア帝国の誕生」という素晴らしい映像作品を1996年にプロデュースして頂きました。事前取材として、マイコンと呼ばれるものの背景からパソコンへの道筋、それが何処でどう販売されていて、どのように組み立て、どう動くのか、それこそ1分の映像を仕上げるために数時間事前取材、モノの入手、無いものは当時と同じモノを作る、などなどそれは大変な時間と労力をかけて番組は作られていました。私も延べ時間にして40時間以上、3目並べのプログラミングから、当時のALTAIR8800の構造、紙テープとテレタイプの操作方法から、マイクロソフト創業時の逸話(といっても、私が知っているのは1978年以降のアルバカーキからシアトルに移転して以降のことですが)を事前取材の中でお話ししました。 MS-DOSが産まれる前夜に8ビット時代の標準OSとして存在していたCP/Mのデジタル・リサーチや、 MS-DOSの原本を開発したSCP-DOSのシアトル・コンピュータ・プロダクツにもそれぞれ取材をされ史実としてMS-DOSがどのような経過でIBMに採用されたかなど、大変興味深いドキュメンタリーに仕上がりました。特にデジタル・リサーチの社長キルドール氏が亡くなる直前の恐らく生前最後の取材であったと思われる取材内容はとても価値のあるものに思われました。 ビルゲイツの通った小学校の先生、ハイスクールの頃当時毎日訪問していたワシントン大学近くのコンピュータ・センターの技師の方、アルバカーキ時代から勤めた秘書でビッグママと呼ばれたミリアム・リューボウさん、上場の立役者であった社長のジョン・シャーリー、創業者としてのパートナー:ポールアレン氏などにインタビューを敢行しビルゲイツの素顔が沢山浮き彫りにされていたものです。 ビルゲイツにももちろん直接インタビューをしたのですが、その当時コニー・チャンさんというアジア女性で初めて米国のメジャーTVチャンネルの、メイン・アンカーウーマン(いわゆる女性キャスターですね)になった彼女との取材で、惨憺たる結果となり..(この背景は、そのうち書きます)TVの取材はなるべく受けない、事前に質問を用意してもらってそれに答える、という手法しか受け付けないとアメリカのマイクロソフト本社広報からキツイお達しが出ていました。当時、日本サイドから私がシアトルに勤務する「森田けい」嬢という日本人の広報PR担当者と一緒に何とかビルゲイツの時間を確保しようと奔走したのでした。 一度目は日本でインタビューを実施したので、時間の配分もビルゲイツのご機嫌もバッチリで、自然なビルゲイツの横顔が撮れたのですが、どうしても2回目の予約が米国で入りません。しょうがないので、ビルゲイツの出張中を狙おうとラスベガスのコンベンションに出かけたビルの時間を頂戴し、2回目のインタビューを実施…どうも部屋でインタビューだけというのは堅苦しいので、日常生活のシーンを撮りたいできれば彼の自宅でということになったのですが、ビル君はプライバシー特に自宅や家族を取材されるのを嫌う(これは好き嫌いの問題ではなく、誘拐や暗殺未遂など本当にあったそうで本当に神経質になっていたのは事実です)ので、自宅取材はダメということになりました。ならば、カジュアルにお昼ご飯でも食べているところという話もあったのだけど、私はビル君の口からハンバーガー飛び出し事件を思い出してしまってお勧めできなかったのです。 そこで考えたのが、ビルゲイツ君シアトルでは毎日の通勤に黒塗りのストレッチ・リムジンなど使うわけではなく、自分で自分の車を運転しているという姿は本当のことだし、自然な日常の姿で良いよね!!ということになったのです。昔から、マイクロソフト本社では身障者用の専用駐車場というのはあっても役員専用の駐車場というのは無かったのだけど、いつもギリギリに自分の車をぶっ飛ばしてくるビルゲイツ君、最後に自分の会社で駐車場がみつからずにイライラして遠くにようやくスペースが見つかってそこから自分のオフィスまで猛ダッシュをしているのを見かけていました。 さすがに、毎朝のダッシュは辛いだろうということで、コッソリ身障者用の駐車スペースの横にお客様用スペースと、もうひとつ余分にビルゲイツ君専用の駐車スペースを確保していました。セキュリティの観点からそこにビルゲイツ専用であるとは何も書いてはありませんでした。私の狙い目は、米国広報を通して取材を依頼すると一つのメディアに一年3回も取材を受け付けられないとハネられるは判っていたので、相田さんとカメラクルーに、この駐車スペースで知らん顔してカメラを担いで待っていてください。ビルが運転したきたら、私が「ビル、おはよう」「前回取材したNHKのクルーだけど、おはよう!! って一言メッセージもらえるかな」とビルに説明しますからと、ゲリラ取材を敢行…ほとんどワイドショウの突撃取材のノリで私も楽しんでいました ビルゲイツ君、キタキタキタァーッ(その頃はこんな言葉は無かったですが、まぁ気分は今の電車男ね)今日もいつものように日本メーカーのT社の「レXXス」を運転してきました。(もう何台同じ車に乗り換えているのだろう、でも毎回ちょっと変わった色なんだな、濃紺とか茶色とか、私と色の趣味は違うなぁ) 車が駐車場に入ってくるところからビルゲイツ君の姿がバッチリ映っていて最高の映像が撮れた感じ、良い良い、そのまま突撃インタビュー行きましょう!、「ビル、おはよう」、ビル君もご機嫌よろしく取材に答えています。 廻りを見渡すと、遠くの方からセキュリティ・ガードが走ってくるではないですか…まずい、敷地内でカメラを廻すには事前に許可がいるのに突撃取材なんでルール破りでやってしまった、後で報告されて本社広報からこっぴどく怒られるかな、参ったと思っていたところ…何と… セキュリティ・ガードのおじさんは、ビルゲイツ君に向ってキツクお達しを言うではないですか..「君、君、ここはビルゲイツの専用駐車スペースなんだよ、ダメじゃないか此処に駐車しちゃ」ビルゲイツ君、その間もNHKのカメラが廻っているのを見ているので、とても落ち着いた風に「あぁ、僕がそのビルゲイツなんだけど」と顔を車から乗り出して、セキュリテイのおじさんは凍り付いていました。 その後も、セキュリティのおじさんはクビにならずに笑い話で済まされたのだろうけれど.. 最後のオチは、NHK新・電子立国の最終修正編集したカットには、自分で車を運転するシーン、そして.「君、君、ここはビルゲイツの専用駐車スペースなんだよ、ダメじゃないか此処に駐車しちゃ」「あぁ、僕がそのビルゲイツなんだけど」ノーカットで放映されちゃいました。まぁ、いいか.. では、ふるかわでした 10月14日 私の知っているビルゲイツ、その10ビルゲイツ君、顔だけは許して!!
ビルゲイツ君の来日中は分刻みのスケジュールをこなす中で十分な時間を食事にとることが出来ないことも多々ありました。移動中のマイクロバスの中で寿司やハンバーガーを食べたりなんてことは普通のことでした。そのような時、ビルゲイツは食事の中身にはだいたい無頓着なので、食事中にも何か資料を読んでいたり相手の眼を見ながら話に夢中で、口の廻りや手はベチャベチャ、いつもその手をそのまま下ろして穿いているズボンだろうがトレーナーのパンツだろうが膝の辺りで手を拭ってしまうのです。そんな時、私は手に持っているテーブル・ナプキンをすかさずビルゲイツの手と膝の間に割り込ませ(ズーッとかけていると、すぐ床に落としちゃうから無駄なので)、いつも自分が食べることはそこそこに、ビルの衣服を汚さないように臨戦態勢で臨むのでありました。 それでも、揺れるマイクロバスの中では無理があるので、そんな時には自宅から大きめのテーブル・クロスを持ってきて、まるで床屋さんで髪を切っている時のように首からテーブル・クロスを食事前に巻きつけて食事をさせるのでした。シアトルではきっと、亡くなったお母さんも奥さんのメリンダも大変だったろうなぁ、大きな赤ちゃんみたいでと微笑ましくいつもみていました。ほら、自分の子供が食べ散らかしても文句言えないでしょう、あれですあの気分...
とにかく、食事中でも自分の意識が議論に集中していると他のことに一切気が廻りません。食べながらこぼすなんてのは、まだ良いほうで…(ここからの、話は貴方が今お食事中であったら、済ませた後にお読みいただいた方が良いかも…) ビルゲイツ君は何かを口にした時に異物が入るとか自分の好きでは無いものを口にした瞬間、真正面に向けて口から吐き出すという行為に出ます。映画オーメンのシーンで悪魔に取り付かれた少女の首が180度回転して緑色のモノが..そう、あの雰囲気です。(さすがに、ビルゲイツ君の首は180度回転しませんが) そんな時、運悪く真正面に座っていると悲劇が起こります。私も過去25年の間に3回、その洗礼をうけました。
1回目、ビルゲイツは寿司の中でも、ウニ、蛸、イカを好みません。特に蛸やイカは、「チューイ」といって、チューィンガムのようにゴムみたいだとその触感を嫌います。 いつも、盛り込みの握り寿司など頂くときは好きなモノだけ選んで食べているのですが、とにかく話に夢中になっているときは食べることはほとんど手探りで勝手に手と口が動いている状態になります。そんな時に、口にした蛸のニギリ..それもビル君お醤油で真っ黒になるくらいシャリをベトベトにした後、口に含んで噛んだ直後…キタキタキタァーっ、ってのは「電車男」風の表現ですが口から寿司、放射状態..私の顔を直撃!!! 2回目、成田エクスプレスの個室に向かい合って座ったときに、成田で購入したコーラ、ミネラル・ウォーター、缶ジュースなどが何種類かテーブルにのっていました。その中に、缶コーヒーが入っていたのです。それも結構綺麗な色の缶で当然アイス・コーヒー状態。最近になってようやくアメリカでもビン詰めや缶のフラッペチーノやエスプレッソを冷たいままでスーパーなどで販売するようになってきたのだけれど、今から5年くらい前には、アイスコーヒーや缶入りコーヒーという製品も文化もアメリカには無かったのです。そして、やはり話に夢中になっていたビルゲイツ君、中身を見ないでいきなり口に含んだものだから、やられた!!! 口から放水、私の顔にまた..その後、笑っているの私の顔を見て..ひどいっ!!! と思いつつも、私も大笑い!!(個室のできごとで良かった) 3回目、会社の会議室で技術者と会議をしていたときに、お約束のバスケットに山盛りでマクドナルドのハンバーガーが登場...ビルゲイツ君はだいたいチーズバーガーかダブルチーズ・バーガーしか食べないのだけど、その時は「テリヤキ・バーガー」が入っていたのだな..ビル君いきなりガブリと噛み付いた後、自分が全く予想していなかった味が口に飛び込んできたものだから、またやってしまいました。 鼻から牛乳ではなく、口からテリヤキバーガー!!! 私は、思わず「いや、止めて、顔だけは許して!!!」と叫んでいたのでした。
ビルゲイツ君も結婚して子供ができてからは、お行儀よく食べるようになりました。きっと奥さんのメリンダにしっかり教育されたのではないか、と推測します。でもね、ビルゲイツ君のそんな姿けっしてお行儀が悪いのではなくて、相手と話している話に夢中になっていて、技術の話や相手のことを深く考えすぎてそうなってしまうので、その点も是非ご理解ください。
では、ふるかわでした 10月4日 私の知っているビルゲイツ、その9ビルゲイツの記憶力
ビルゲイツは彼が小学校に通う11歳で聖書のマタイ伝福音書「山上の垂訓」を暗誦して、先生からご褒美にスペースニードル(シアトルにあるタワー展望台、回転レストラン)で先生にお食事をご馳走になったそうです。
私自身も彼の記憶力に度肝を抜いたことが何度かあります。本年の6月に私の卒業式(退職記念のパーティ)を主催してくれたときのこと、オープニング・スピーチの前に控え室で10分ほど事前の打ち合わせをしておりました。
ビルゲイツ:「今日は、どんな方をお招きしているのかな?」 古川:「NECの渡辺和也さんでしょ」 ビルゲイツ:「おう、Ted Watanabeさんね、PC-8001の話を最初にするためにアルバカーキの時代に訪問してくれたね、その当時はPC-8001の開発コードネームはPSXだったよね、それから誰が来てるの?」 …ビル君、当時日本から訪問さらたお客さんには、みなアメリカ流のニックネームを付けて呼んでいました。 当時のニックネームと苗字、製品のコードネームを今でも全部記憶してるの..です。 古川:「当時のPC-8001グループからは後藤さん、土岐さん、かな? もちろん、PC-98のグループからは高山さん、戸坂さん、田岸さん、富田さん、皆さんいらしてるよ!」 ビルゲイツ:「それは凄いメンバーが皆さん参加されたね?」 古川:「それから、ロジック・システムズの..石田さん」 ビルゲイツ:「おう、カオル・イシダか、懐かしいなぁ。 ソードの方はどうだ?」 古川:「椎名さんはいらしているかな、ちょっとわからないけれど」 ビルゲイツ:「アルバカーキに来てもらったのは、SATOさんだったな? そすそう、MSKKにソードからきたRyoji Watanabeは今何してるの? そうだ松下通信工業のJack Miyazakiは?」 古川:「Ryojiさんは,埼玉で仕事しているって聞いたけれど、そういえばYahooBBJapanの社長も元ソードだよ」 ビルゲイツ:「Micro Software Associatesの社長だった、岡田さんと、もう一人名前が思い出せない」 古川:「それは、SAKAIさんでしょ?」 ビルゲイツ:「そうだ、SAKAIさんだ」 彼の口からは人の名前だけではなく当時の製品名、PC-8001や8801だけではなく、PC-6001の話や、Hitachi BASIC Master、BABCOM80、PC-100、if800、RICOM3000、MyBrain800、iBEXなんて話がドンドン飛び出してきます。 もうほとんど、カルトQの質問大会が始ってしまうのですが、どちらがどれだけ細かいことを記憶しているかというクイズを私と始めると、まぁムキになることなること、自分の方が記憶力が良いというところを見せつけて、「どうだい」という顔に浸っている、お子ちゃまなんだから大変です。 そこで、チェックメイト!! ビルゲイツ:「エーアイ・エレクトロニクスはどうした」 古川:「それは、アイ電子のことだよね?でもウチとは契約してたっけ?」 そこでビルゲイツは勝ち誇ったように「もちろん、1977年に8ビットのFORTRANを契約しているさ」
パソコン黎明期の歴史、それも日本の会社名として「アイ電子」の名前まで覚えているアメリカ人は、ビルゲイツ君貴方だけでしょう!!! そのアイ電子さん現在は、パソコン関連だけではなく、こんな製品も(その1、その2)手がけておられるようですね!
企業の名前、CPUの名前、プログラミングの内容(ビルゲイツは自分が開発に関わったプロジェクトのソースコードにどのようなラベルを付けたか今でも覚えているぐらいですが)、その時に付き合った人々の名前、どの会議でどのような議論を交わしたか、を全て覚えています。 きっと10年後に昨日アップした大居君に再び会うことがあれば、「やぁ大居君、その後UI(画面の操作方法)はどんな設計で完成したんだい?」と前回の質問の続きを始めるのでしょうね..
では、ふるかわでした 10月3日 私の知っているビルゲイツ、その8ビルゲイツにOSを売り込んだ少年
日本学生科学賞という1957年から続いている中学生・高校生向けの読売新聞主催の科学自由研究コンテストに2002年からマイクロソフトが協賛企業として参加をさせてもらいました。 2003年に創設された、ソリューション部門では、コンピュータを活用した斬新なアイディアを発表してくれた大居君という滋賀県大津の少年が「マイクロソフト賞」を受賞しました。 受賞した作品は、「飛行機はなぜ飛ぶか 空気モデルのシミュレートから考える」というもので、文部大臣賞を受賞した「リンゴはなぜ落ちるのか」というテーマを取上げた静岡県の秦野さんと同じく、居並ぶ審査員の大学教授を唸らせるような解法に驚いたものです。
その大居君、お父さんと一緒にセスナ飛行機に乗ったとき、翼の形(断面)がなぜ揚力を発生させるのか不思議に思ったそうです。そして、コンピュータでそれを証明したかったという、非常に純粋な動機から研究テーマにしたそうです。オトナの世界では流体力学をスーパーコンピュータで計算したり、最近のF1レース参戦に関わるコストは50%が空力設計で、30%がF1パイロットの給料、20%が車体制作費用と参戦費用と言われているぐらい大掛かりな計算能力とシュミレーション(事例2、事例3)を必要とする分野です。先般ご紹介した、ダビンチの手稿の中にも水や空気の流れに関する流体力学の原点が記述されています。
中学生の大居君が、スーパーコンピュータを自由に使える環境を持っているわけもないので、彼がひらめいた方策は、コンピュータ・グラフィックスのパッケージを利用して光の反射、写りこみや、ハイライト・シャドウを生成する代わりに、光を風邪に見立てて翼に当ててやれば揚力が色を変えて画像出力になるに違いないと考えたそうです。そして、VisualBASICと市販のCGパッケージを利用して何十億円もするスーパーコンピュータで生成されるような流体力学のモデリングをパソコンでシュミレーションしてしまいました。 大学の先生は、このシミュレーションでは渦の巻き込みがシュミレーションできていないだの、細かいことを言い出す方もおられたのですが、中学3年生がゼロから考え出してパソコンで実現したシミュレーションとしては上出来どころか、ビルゲイツを超える逸材が日本から出るに至ったかとすら思ったものです。そのシュミレーション画像には、通常の翼の形で発生する揚力以外に、フラップを引き出した時に、減速する方向に力が発生する様子やスピードが落ちても揚力が維持される様子が色の違いと渦でハッキリ表示されていました。
受賞式の後、高校生たちはISEFという米国の科学コンテストに参加して、副賞として中学生も一緒に米国研修、シアトルのマイクロソフト本社訪問、ビルゲイツに会うという機会を得ました。 ビルゲイツの時間を割けるのは30分のみですと、彼のオフィスからキツイお達しがあったのだけど、ビルゲイツ君こういう時は一番イキイキした目になってしまって、ひとりひとりの受賞者から、研究テーマの内容を聞き出したり、その思考にいたった経緯を逆に質問攻めで大変有意義な時間を使いました。 その時にインタビューがストリーミングで公開されています。
ビルゲイツは、大居君のテーマとその取り組み方にとても興味を持って色々質問をしていた丁度その時、大居君いきなりビルゲイツに「ええ、そのテーマはもう終わってしまったことで、今はOSを創っているんです。今日このフロッピーに入れてきたので是非評価してください!!!」
廻りにいる大人たちは気絶しそうになっているのが滑稽でした。だって、中学生が自分の創ったOSをビルゲイツに売り込んでいるのですもの。 取り囲んでいる大人たちの目は、「ビルゲイツさんに、いきなり何て失礼なことを言い出すんだ?」とか「そんなことをして、ビルゲイツさんいきなり怒り出したらどうするんだ?」といった予測が顔に浮かんでいました。それらのビルゲイツの性格や行動パターンの予測は、各種マスコミに作られた、「ビルゲイツは気難しがり屋だの自分に挑戦してくる人間は子供でも許さない」だの、はたまた「相手の顔を見ないで喋る」とか「自閉症の兆候がみられる」だの、メチャクチャに書かれたその多くは伝聞が伝聞を呼んでステレオタイプの記事に仕上がってしまったものだと思っています。 上記ストリーミング・データを見ていただければ、ビルゲイツ君が相手の眼を見ながらいかに自分も楽しんで会話をしているかが汲み取れることと思います。
ビルゲイツは、大居君に対して「コンピュータのことを深く理解してその能力を全て引き出してやるためには、そのCPUに合わせたコンパイラかOSを創ることがベストなんだ。その意味では大居君は本当に良いテーマを選んだと思うよ!!! 最近、コンパイラやOSをゼロから創るなんてことにチャレンジする人が数少なくなってしまった中で、大居君のような若い子がそれにチャレンジするのは素晴らしいことだね。」との返事が返ってきました。 ビルゲイツ君のねぎらいの言葉に、周りにいた大人たちは一安心。
そして、ビルゲイツ君の言葉はさらに、「どんなファンクション・コールを持っているのだい?」「メモリ管理はどうしたの?」「ファイル・システムは?」などなど相手をもっと深く理解するために質問を投げかけ、相手のエネルギーを引き出す、受け取ったエネルギーを増幅した上で助言を加えながらパワーを相手に与えるという関わり方をします。 そしてそのような接し方は技術の話に留まらず、営業、経理、購買の担当者に対してでも全く同じで、マイクロソフト社内のパーティで話が始まると「それで、最近何にチャレンジした? どのような成果が挙がった? 今何に取り組もうとしているの? 僕に協力できることは何かあるかい?」というピッチで話が弾むのです。 ビルの一番嫌うタイプの会話は、「えーと、私は何もしていませんけれど、ひとまずサインもらえませんか?」というケースかな…
さすがに緊張したビルゲイツとの面談をこなした彼らは、その後拙宅で開催されたパーティになだれ込み、2時間かけて私が焼いた8Kgのローストビーフを12分で食べつくすという快挙を見せてくれました。この子たちの発想や取り組みを見ていると日本のエンジニアリングも未来は明るいと、つくづく思ったものです。 では、ふるかわでした 9月27日 私の知っているビルゲイツ、その7月末にビルゲイツが日本に訪問した時のこと、黒塗りのハイヤーではなくマイクロバスで移動しながら社内の人間と移動中にユックリ話をしたり、時には食事をしたりするのがビルゲイツ流です。ある日、とある会議に出席するために品川のプリンスホテル・タワーに車は進入していきました。 今回は、スタッフの移動を含めて2台のマイクロバスを使っていたのだけど、ホテルの駐車場に入った瞬間に何百人もの女性たちに取り囲まれてしまってマイクロバスは前に進むことができません。 一体何が起きたんだと廻りを見渡すといつのまにか同じ形のマイクロバスが5台になったいるではないですか? 走ってきた女性たちはバスの窓をガンガン叩くは顔を突き出してバスの中を覗くは、大変な騒ぎに..警備員に誘導されて到着した入口は、どうやら私たちの会議をする場所とは違うようです。 窓の外からもう3台のマイクロバスをながめると、そこから「バック・ストリート・ボーイズ」のメンバーの姿が降りるのが見えました..女性たちお目当ては、ビルゲイツではなくて、この人たちだったのね、とようやく理解できました。 細い道でなんとかUターンをして本来の入口へ進行するバスにめがけて、また女性たちが走ってきます。社内は一瞬緊張が走り、同行していたガードマンさんは、結構顔が引きつっていましたけれど そこで社内の会話、私:「ビルも日本では人気あるけれど、ちょっと変だと思ったんだよね、バック・ストリート・ボーイズだってさ」と、ビルゲイツ君:「確かに、僕らがターゲットとしているユーザー層とは違うなぁ、と思ったんだよね」と車内は大笑い。 「でも、こういうユーザーにキャーキャー言われるようなプロダクツつくらなきゃな」と言うビルの気持ちは本心、それとも冗談 では、ふるかわでした 9月25日 私の知っているビルゲイツ、その6まだ伊丹空港が関西唯一の国際空港だったころのことです。 ビルゲイツの来日時に成田に到着、東京で仕事をして新幹線で大阪に移動、大阪でいくつかの仕事をこなして伊丹から韓国ソウルへ飛ぶところでした。飛行機のチケットはビジネスクラスで発券されておりディスカウントではない通常の航空券だったので、搭乗券をみるとファーストクラスにアップグレードされていました。(格安チケットではなく、通常チケットの場合は空席があれば自動的にアップグレードされる、ということなんでしょうね)。数日間の日本滞在も終えて、「今回の滞在も価値あるものだったね、楽しかったよ」と言っているビルゲイツ君、搭乗券を見た瞬間に切れた!!! 空港の待合室で人も歩いている公共の場所で、いきなり罵倒しまくり..(まぁ、こういう時は人前だとか忘れてしまうのだけど)..何にキレまくっていたかというと、「サム、お前に任せている日本のマイクロソフトはこんな無駄遣いをする会社なのか、何だこのファーストクラスの搭乗券ってのは、1時間ちょっとのフライトに何故そんな無駄な会社の金を使うんだ!!!」と怒っているのです。
こういう時は、ひとまず自分の気がすむまでまず怒らせておいて、一呼吸置きます。いきなり反論するとかえって逆上することもあるので、この「一呼吸」が大事なのだけど...反論するときはあくまでも冷静に論理的に、「ビル、落ち着いてくれよ。 俺がファーストクラスのチケットを購入するような人間と思っているのかい? それは心外だなぁ。この航空券はディスカウント・チケットではない通常の航空券なので自動的にアップグレードされただけなのだけど、誰もファーストクラスのチケットを購入するなんて無駄遣いはしていないし、なによりこのチケットはシアトル本社で手配して購入したものではないのかい?」 そして、最後のとどめとして、「ビル、ファーストクラスに座るのは居心地悪いなら、その搭乗券エコノミーに戻してもらうけれど、そうするかい?」 (そのフライトは、エコノミーとファーストの2クラスで、ビジネスクラスが無かったのだけど)... そこまで、言い含めるとビルゲイツ君、神妙な顔をして自分が人前で切れて罵倒していたことを反省します。 そこから先がビルゲイツ君らしいのだけど、「サム、怒りちらしてゴメン、搭乗券を準備してくれてありがとう、それに乗っていくよ。」と人前でもチャンと謝るところが偉い!!
世の中には自分が間違えていても絶対に謝らない人が沢山いるのだけど、仕事上の話で会議中だろうがお客さまの前であろうが、ちょっとした勘違いでキレることは多々あるのだけど、「一呼吸置いて」論理的に自分の間違いを指摘するとビルゲイツ君、決してしバックレルことなく、ちゃんと反省して人前でも謝ってきます。 その繰り返しでお互いの信頼関係が築き上げられるのだけど、そのスリルはきっと防具なしの空手か、真剣で剣道の試合をしているような感じだったのかもしれませんね...(白髪も増えるはずだぁ)
あるマスコミのインタビューで、ビルゲイツはアメリカの国内線でも国際線でもファーストクラスのチケットを購入しない、という理由について語っているのだけれど、「会社の金でも個人の金でも、そのような無駄なことに金を使うことは理解できない。もし自分の体がエコノミークラスにフィットしないほど大きければ、もう少し広いシートに座りたいと思うだろうが、それほど自分の体は大きいわけではない。むしろ席に余裕があるときに毛布を借りて後部座席の肘掛を何席か跳ね上げて横に寝た方が楽じゃない?ファーストクラスの料金に何倍もお金を払ってみたところで、到着する時間は皆同じなのだから」という返答でした。
ビルゲイツ君もさすがにこの数年は、空港のセキュリティの問題や訪問した現地で有効に滞在時間を過ごすために、プライベート・ジェットを利用することも多いのだけど、この場合は飛行機のリース料(だか、全額一度に払ったか知りませんが、とにかく飛行機本体の値段)も、航空燃料代も、空港使用税も、整備費も全部自前で会社には一切請求していないんだそうです。自分がCEOやCSA(Chief Software Architect)だろうが、主要な株主だろうが、会社の金を自分たちの決めた出張ルール以外のことに使うことにはとても厳しく、それがマイクロソフト流のDNAなんだろうな、と思うのでありました。 (この20数年、どこのホテルでどのような部屋を用意しても、ビルに「サムこんな大きな部屋はもったいない、寝る場所とネットがアクセスできればそれで良いのだから」といつも言われてきました。 そんな時に私は、「いつも会社で利用させてもらっているので、今日は通常料金でジュニア・スィートをサービスしてもらったんだ」と言うと納得するのでした。)ビルゲイツのことをケチだとかいう人がいますが、彼は倹約家で、論理的ではないことに無駄な金を使うことには躊躇しますが、その使い方はいつもフェアなのです。(人よりさらに、自分にそれをより厳しく課すところがね)
昨今、個人の眼でマイクロソフトのエクゼクティブを空港で見かけることが多々あるのだけど、ビルゲイツの実践してきたマイクロソフトのDNAは何処へいってしまったのだろう、と思うような場面に出くわすこと多いです。(この話はまた別途)
では、古川でした 9月20日 私の知っているビルゲイツ、その5ビルゲイツがWindowsをやるぞ、と決心したその日、その瞬間に私はその場に居合わせたのでした。 それは、1983年5月16日のこと、目の前がディズニーランドというロスアンジェルスのアナハイムで、NCC(National Computer Conference)という展示会が開催されました。 その当時は、WCCF、Comdex、NCCがコンピュータの展示会として実績があり、マイクロソフトも初めて「マイクロソフト・マウス」「マルチプラン」そして「マルチツール・ワード」を主たる製品としてNCC83の展示に望みました。 コンピュータ業界では新参者のマイクロソフトは展示会場の建物内にブースを構えることができず、急遽しつらえられた巨大な白いテント内にブースを構え後にブース内の気温が上がり、消防署の指示により展示を中断するという事態になりました。 マイクロソフトは、緑色のマウスをPCに繋ぐということはしても、テキストベースのワードやマルチプランでは、カーソル移動やコマンド選択の代わりにマウスを使うというレベルのサポートがようやく実現できていた時期のことです。 会場の中を私は歩き回って月刊誌アスキーに掲載するネタを拾い、写真などを撮っていました。 その中で見つけたVisi Corp社のVisiONを見て、「ぐげっ、大変な統合ソフトがで出た、これは統合ソフトとしてだけではなく次世代の統合環境として一大変革をもたらすに違いない」と震えがきました。 会場に居たビルゲイツの袖を引っ張り、「ビル大変なモノが発表された、すぐに見に行こう」と声をかけて、一般公開前のブースでデモのリハーサルをビル君と一緒に見ていました。 私はデモ内容を一度見ているので、ビルゲイツの顔を見ていると確かに渋い顔をしています。 そこで、ナレーションの練習をしていたお嬢さんは、「ここにマイクロソフトのビルゲイツさんもいらしてますが、自分たちにはとても実現できないテクノロジーだと青い顔されてまーす」なんて話振りで大きな声で煽ってしまったのです。 その瞬間、ビルゲイツの顔は、恐ろしい形相に変貌し、「サム、ウチもやるぞ窓、窓だよ!!!」という話になりました。 その半年後に、試作版として将来のWindows環境として提言されたのが1983年末のComdexで展示され、ニューヨークで発表されたWinodwsの原型である「Interface Manager」なのです。 そこら辺りの話は、VisiONの歴史が記述されたページ(http://toastytech.com/guis/vision.html)に逸話として出ています。 そちらでは、1982年のComdexでビルゲイツが見たということになっているのだけど、それは1983年5月16日NCC83が事実!!! だって私はその瞬間に居合わせたのだもの。 重要なポイントは、スティーブ・ジョブスさんは再三再四「WindowsはMacのマネっこだしぃ」と言うのだけど、Macが出荷されたのは1984年だという事実。 1983年の後半においては、Macデビューのためにマイクロソフトのソフトウェアを開発するということはスタートしていたのかもしれません。 もちろんLisaは1983年1月に出荷していましたし、窓を活かした統合ソフトがロータスやいくつかの会社から出ていたり、XEROXからStarシステムも提供されたりしていました。 そのような状況の中でだれもが統合ソフト、統合環境、グラフィカル・ユーザー・インターフェイスを意識していたのです。 1983年の11月10日にニューヨークのプラザホテルでWindwosの開発表明(関連記事)と1984年に出荷するとのアナウンスがありました。 結局、マイクロソフトが最初のWindwos1.0(日本では、1.21)を出荷するのは1985年のことですが、ビルゲイツが窓をやるぞ!! と意志を固めた日、それは1983年5月16日のことです。 では、ふるかわでした |
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