6月16日
4月から担当した講義で、”メディアビジネス戦略”というテーマで週1回の授業を計7回受け持っていました。第5回の講義内容として、「携帯ビジネスの現況と今後の市場動向」という講義内容で90分以下のようなお話をしました。
2008年3月で日本のケータイは契約数1億を超えたのですが、人口100人あたり何台普及しているかという携帯

普及率においては、世界で50位という数字にちょっとビックリ...ルクセンブルクからドイツまでの1位から29位までの国々では、100%以上、つまり100人に対して100台以上の携帯が普及しているのですが、日本は100人にたいして未だ79.6%の普及率....今後一人2台の市場が拡大してこの数字が100%を越える日が近々来るのでしょうが、「日本の携帯普及率:世界で50位」という数字という背景には日本の総人口や高齢化、子供に携帯を持たせないような動きも影響していると思われますが...いろいろと考えさせられてしまいます。

日本の携帯事情は、ドコモの906シリーズの発表、PRADA携帯の登場、
WILLCOMのD4や
イー・モバイルのEM-ONEαなどの新しい試み、Windows Mobileの動向とVistaフル機能を搭載してD4のデビューに触れ、さらに米国におけるマイクロソフトによるDANGERの買収やグーグルのアンドロイドSDKの公開の意図するところなどもなどをカバーしています。
こんなスタイルで、毎回「電子出版と新聞」「通信と放送」「音楽配信」などをテーマに講義を進めてきました。最新事情を盛り込んで、このようなスライドを毎回40枚から50枚用意していたために、週に2回から3回の徹夜という毎日でありました。6月に入り、春前期の7回の講義も終わり一息ついたところでありますが....秋には、同じ授業を英語で実施しなければならないというプレッシャを日々感じております。最新の技術や市場動向を盛り込みすぎて、これでは来年の授業で昨年の講義内容を使い廻すわけにもいかないなぁ、と思うのでもあります。
いままで、大学の特別授業を何度か経験していますが、生徒の1/3は眠っており、さらに1/3はメッセやSNSをやっているなんてケースが多かったのだけれど、大学院メディアデザイン研究科に集う80名の修士学生と博士課程の連中はとてもアツい眼差しで授業に臨んでくれているので、こちらもいつも真剣勝負で..やっています。
では、ふるかわでした
8月1日
「最近の若い者は」なんて言葉を発するようになってしまったらもうお仕舞いだよねぇ、とかオジサンの昔話を聞くのはウザいと思われたくないよねぇ...とは思いながらも、最近の子供たちのアイディアにドキッとさせられるようなスリルを味わうこともないなぁ、と寂しい思いをしていたのだけど...月曜日は久しぶりに元気印の若い子たちの発表会を午後11時から夕方まで拝見・体感して、ワクワク、ドキドキの連続でした。慶應義塾の湘南藤沢キャンパス(SFC)にて、奥出直人研究室を訪問、、奥出研究室の背景はこちらに...
研究室に入ったばかりの人たちのプロジェクトPochi工房の方たち、荒削りながらも、ひねり出した哲学やビジョンをベースに一生懸命...形にしていこうという試みがとても新鮮で素敵でありました。発表したプロジェクトはたくさんあったのだけれど、一部抜粋...
Paravieはストリートダンスを支援する映像システム、先生のダンスに合わせて自分が踊ると正面のスクリーンにまるで鏡で二人が並んで映っているように見える。いかにも若い人のアイディアなのだけど、この装置を利用すればダンスの練習だけではなく、茶の湯のお稽古や演劇のリハーサル、リハビリテーションや手話の練習などにも使えるかもしれないな。
Quatronome(クアトロノーム)は、バンド練習をする時にそれぞれのパート(作例は、ドラム、ベース、ギター、ボーカル)を足元のフットスイッチでオンオフして、マイナスワンの演奏に合わせて自分のパートを練習できます。きっと、ウチの息子が欲しい!!って言うだろうなぁ...
Hip Mate: セクハラを防止するために....ってアイディアではなくて、んっ、その心は....
Sound Candy: こんな環境を揃えた遊園地を見てみたいものです。
Teleshadow: テレビ会議のようにビデオ映像をそのままカメラで撮って相手に映すのではなく、影絵のようなシーンを灯篭のようなディスプレイに映す装置です。プライバシーの保護とか、相手に自室の中まで見せたくない、スッピンはいやだぁ、という時には有効な道具かも...
Pileus:は傘の内側がディスプレイになっていて、握りをグリッと廻すと次の画面になります。このプロジェクトは各展示会で絶賛、海外のTVショウやengadgetでも紹介されたり、今回奥出研に訪問する前から私は興味を持っていました。優れたデザインとアイディアを形にするだけではなく、それをどのように社会にアピールするかという点においても、とても素敵な成果を挙げておられます。橋本翔さん、松本隆史さん、こういう元気印の子たちが次世代のメディアイノベータになっていくのでしょう...応援するぜぃ!!!
moo-pongもやはり奥出研究室の先輩たちの作品、和田裕介さん(この人と私は、どこかで繋がっていたらしい)、Quatronomeを創った臼井さん、瓜生大輔さんは数々のプロジェクトに参加しているのねぇ、今日はフジロック会場なのかな、みんなとても元気!!!で素敵ですよぉ。
ヨコハマEIZONEでmoo-pongが展示されています。
というわけで大学2年生からSFCに何年生息しているのという謎のオジサンたち、そして卒業生たちまで絡んできた楽しい打ち上げパーティが引き続き開催されたのでした。
次回は発表会ではなく、合宿にも参加してみたいな!!!
今日は若いひとたちに沢山エネルギーをもらったような気がします。
では、ふるかわでした
9月10日
麻布学園のリレー講座、9月9日の1時限目は昨日のブログでご紹介しましたが、同日の2時限目の講義内容をアップしました。
ご興味のある方は、ご笑覧ください。
今後、この授業がどのように展開していくかとても楽しみにしています。講義の詳細は、上記ブログを中心いエントリしていきますが、適宜このブログでもご紹介していこうと思います。
授業の中で「自由とは与えられるものではなく、奪い取るものなのだ!」なんて話をしたら、生徒はみんな目を丸くしてビックリしていました。
もちろん、このフレーズは、岡林信康 「見るまえに跳べ」の「私たちの望むものは」からの引用なのだけど、それに反応した人は居なかったなぁ、さすがに...ひょっとしたら、麻布生のお父さん世代なら敏感に反応した人もいるのかな?
今の麻布生が、当たり前のように茶髪にジーンズ+Tシャツで登校しているのも..オジサンたちが、勝ち取った、奪い取った麻布生の権利なんだぜぃ、えへんっ、というメッセージには、ちょっと自慢が入っていたのだけど..出席者のアンケートを読んでいると、感動したというコメント以外に、「自分のイントロダクションが長い、早く誰か講師を連れてきてデジタルの話をしてくれぃ」という意見もあり、「そうそう、麻布生の反応はそれで良いのじゃ」と思った次第..
今後、授業の開催場所として麻布のキャンパスを飛びだし、どこかで公開授業まで持ち込むつもりであります。講師候補も今後固まってくると思うので、聴講を希望される方は是非ご参加を検討ください。
では、ふるかわでした
9月9日
今日は、麻布学園の講師をしてきました。2時限の授業の最初の1時限の内容をブログにエントリします。会社を辞めた私が母校の教壇にたって、どのような授業を展開していこうとしているのか、実況中継の1時限目であります。
2時限以降は今後ブログを別途立ち上げてそちらにチェックインして、その場所をクラスルームにしていきたいと思います。Windows Live Spacesの持っているブログとメッセンジャー機能を融合した環境の中で、授業要旨を生徒に配布したり、生徒の授業に対する評価や要求をフィードバックしながら今後の授業内容を決定していく、そんなインタラクションを100人の生徒と実現していきたいと思います。適宜、私のブログと「この授業を運営するブログ」の今後の展開は相互にリンクをしながら、リレー講座の内容を今後も継続して一般に公開していこうと考えています。 麻布生のみなさん>クラスルームは http://azabu-lecture-samf.spaces.live.com/ に開設しました。今後の授業内容、プレゼン資料、講義要旨、皆さんの要望は、このブログを中心に進めることにします。
9月9日(土)から港区の麻布学園にて、秋季特別リレー講座として「デジタルの世界」という授業を12月までに2時限ずつ8回受け持つことになりました。私は、昭和48年度の卒業生、古川享(すすむ)です。20数年間、マイクロソフトに関わる仕事をして昨年6月に引退しました。今年52歳になります。
これから、「デジタルの世界」というテーマで授業を進めるにあたり、いくつか確認しておきたいことがあります。
授業を始める前に、この授業におけるルールを確認したいと思います。まず質問のタイミングですが授業の途中にいつでも手を挙げて質問をしてください。質問らしい質問だけではなく「途中ででてきた言葉が理解できなかった」とか、「つまらねぇ!」というフィードバックでもなんでも結構です。 一所懸命ノートを取ることは必要ありません。今後、プレゼン資料の配布や講義要旨は電子的に配布することを検討しますので、言葉のひとつひとつを書き写すという行為は止めましょう。将来閲覧できるように、一応ビデオは廻しておきます。ノートは取らなくても良いけれど、気になるキーワードに出会ったら、それを書き留めておくのは良い作法かもしれません。
大事なお約束として、授業中に眠ることは禁止! もし授業中に眠っている人を見つけた時は、私は怒って途中で授業を中断して帰っちゃうかもしれません。もし、どうしても眠くなった時には、2つのオプションを皆さんに提案しましょう。一つ目は、眠くなったらその場で起立して眠気を覚ます。事前に許可など要りませんから、自分で眠気を払う努力をしてください。2つ目の選択は、席を立って教室を去ってください。私の考える麻布生の基本的権利として、つまらない授業、もしくは眠気を誘うようなくだらない授業であると感じた時に、「その環境から自ら離脱する権利を麻布生自信が留保する」のもOKだと思っています。私自身も、麻布に在学中はつまらない授業はサボって喫茶店に行くとか、Jazz喫茶に行くなんてことをしていた麻布生でしたので...つまらないと感じることから逃げ出すということも、麻布生のひとつの生き方として認めましょう。
そうそう、私の在学中は、授業をサボることは正式に認められてはいなかったので、欠席がバレないように窓から自分の机と椅子を投げ捨てて、先生は「全員居るな?」と思わせてから...ふけていたものです。さらに、隣の教室から拉致してきた学生を椅子に縛りつけて、代わりに出席させるなんて乱暴なこともしていましたが..今の良い子は、そんなことしちゃ駄目ですよ!! そのかわりに、2つの権利、つまり授業中に立ち上がったりお手洗いで顔を洗ってくるのはかってにどうぞ、もしくは「つまらない授業だから、俺は出席しないでフケる」というのも結構です..だから、授業中に眠くなった時には、このルールを思い出してくださいね!!
さて、今日お話するテーマは以下の通りです。
私自身の個人的な履歴...先ほどの、ご紹介で古川講師はマイクロソフトに勤めて副社長を経験した方です..という話に「へぇーっ」って声が挙がっていましたが、講師の古川ってアンタ何者という点を話しておきましょう。それから、個人的な履歴とは少し距離を置きながら、麻布学園で学んだこと、学園紛争の話(私はまさしく、その当事者だったので)、その頃に学園がロックアウトされていたときに実施した「自主授業の話」それと対比する形で、この特別授業に対する問題提起とゴール設定、その進め方と講師案、具体的なアクションプラン、Q&A、まとめと進めていきます。
まず、古川享の履歴「その1」でありますが、小学校の時代は成績1番が当たり前なんて人生を送り自信満々でありながら、教育大駒場(今で言うところの、筑波大駒場)の受験にすべり、不本意ながら麻布に来た、つまり中学受験で早くも挫折を感じ...小学生時代には、きっと皆さんも同じだったでしょうが...天才児と褒めちぎられたはずなのに、麻布学園に入ってみれば「俺って、ただの人だった」と痛いほど自覚させられる結果でありました。水泳部に入っても、旨くいかず..昔から好きだった鉄道研究会(その後、学校と交渉して研究会・サークルではなく、鉄道研究部として部に昇格を獲得。生物部や物理部と同じように部としての予算を麻布
学園からせしめることに成功したわけです。(サークルや研究会では、予算が降りないからねぇ)。そんな対決を学園としながら、高校生になれば六本木のライブJazzスポットに朝まで居座り、明け方に麻布学園のクラブ部室で仮眠..そのまま授業に出て、昼からまてフケるなんてヤンチャの限りを尽くしていたのだけれど、そんな時に麻布の紛争が勃発して、その中心にいた文化祭の実行委員として紛争に関わりを持ったのでした。そんな生活だから、大学受験に何度も失敗して駿台予備校に何年も通うことになりました。その間に、予備校に行くふりをして、実は秋葉原にできたマイコンショップの店員をしていました。 大学は精神分析や心理学に興味を持っていたので一ツ橋や阪大にも受験したのだけど英語の成績がとにかく悪くて和光大学の人間関係学科になんとかすべりこんだのでした。
大学入学までに、世間の人からは3年遅れを取っているわけだから、今後一生の間3年分周回遅れの人生を送るのかなぁ、と思ったのだけど...未だに競争の無い未踏の領域に打って出れば、いきなり一番になれるかも..という感覚でマイコンの世界に飛び込んだのでした。半田ゴテを持って海外遊学し、海外で購入したマイコンキットを組み立てると500ドルのキ
ットが30万円から50万円で売れて、自分の分はタダ、なおかつアメリカ西海岸の往復飛行機代も捻出できる、なんてことを学生の頃に体験しました。その後、アスキーに入社して、プログラマーとか営業、はたまた日本語ワープロの共同開発やUNIXの日本語化などをするのだけど..(そこらの話はこの要旨では割愛させて頂くことにしましょう。)
1986年にマイクロソフトの日本法人の初代社長を努め、その後会長や米国本社の副社長を経験するのだけど..就任当初から社長は5年しかやらない。私はスタートアップに関わりゼロを1にするのには自分が適任と思うけれど、1を10に、10を100にするにはも
っとそれに向いた社長役が居るに違いないなんて思いで、どんどん権限委譲をしていきました。
結果として2000年以降、数年間シアトル勤務も経験して米国本社の副社長もしたのだけれど、昨年の6月に会社を引退、その後は引退生活を満喫しています。具体的にはブログを書いたり、イギリスやアメリカの各地を旅行して写真を撮ったり、NPO活動を通じた社会貢献や保存鉄道の活動などに取り組んでいます。それから、慶應義塾大学の教授に就任して、今後設置される新設大学院の企画に参画したり、この麻布学園の特別講師を受けたりしています。
麻布学園の氷上校長のお話の中で、「麻布には原点と呼べる記念日が2つあり、そのひとつは江原素六先生が麻布学園を開設した日で、もうひとつの創立は紛争が終結して麻布学園が新生したタイミングだ」という発言をされています。http://www.nichinoken.co.jp/principal/0312.html 私は、この紛争の真っ只中に麻布生として在籍していただけではなく、当時の文化祭実行委員の一人として紛争の実態を自ら写真に撮り新聞社やテレビ局に記事として取上げてもらう広報PR担当者をやっていました。麻布学園の紛争は、多くの大学紛争のような目的を失った学生活動の無意味な反権力闘争やセクト間の争いではなく、写真に映っているような学生服を着た麻布生たちが、学園を食い物にして私財を肥やそうとしていた「校
長代行」に対する退陣要求であったと理解して頂きたいと思います。校長代行は当時学園内を竹刀を持って徘徊し、髪の毛が長い、校則に反する服装である、遅刻をしたなどの理由を楯に生徒を恫喝するなどの暴挙を繰り返していました。我々の紛争は、麻布学園に自由を取り戻す戦いであり、その自由とは何をしても良い自由ではなく、圧政の中で強いられる規律ではなく、自らを律する姿勢を貫き何を良しとするかは、麻布生一人ひとりの選択に委ねて欲しいという要求でした。今日、この授業を受けている全ての麻布生はジーンズにTシャツもしくは自由な服装で髪の毛の長さもそれぞれ、そしてさすがに今日はオレンジや緑色に髪を染めた人はいませんが(実は今日の麻布生の中でも、文化祭や体育祭の委員たちには、赤、緑、オレンジの髪は標準形なのだけど)...今日この日に、学生服に短髪ではなく茶髪に自由な服装で登校できるという自由は、まさしくこの紛争の結果麻布生が得た権利なのです。私たちが望んだ自由はさらに、「上質の自由」とも呼べる自由
で、「個を尊重する」という姿勢です。それは単に制服を廃止したり、権威の象徴である制服を完全に否定するのではなく、制服を「標準服」という名前で残し....私服もしくは標準服を着るかは麻布生が自ら選択するという「自由」なのでした。
その背景には、親子代々麻布生で詰襟の黒ボタンに憧れていました、と言う人からそのアイデンティテイを取上げてはいけないと思いもありました。そして、当時から麻布生はそれほど裕福でない家庭の子息で私学の学費として麻布ならなんとか支払えるという家庭のお子さんに、毎日自由な服を着られてはお金が持たない...なんて場合には、標準服を着せて通わせたいという親御さんもいらしたわけです。むしろ、我々麻布生は私服でいても標準服を着ていても、そのようなことで相手の人格を否定したり規定せずに、相手の内面を見て判断するという姿勢を規範とすると考えていたので、私服で学園に通うか今日は標準服で通うかは、麻布生にその判断を委ねて欲しい、それが我々が奪い取る「自由」の姿なのだ..と思っていました。 そして、それが麻布学園の創設当時から守られた江原素六先生の建学の精神「自由と規律」のもつ意味なのだと解釈していました。
さて、今日はリレー講座で「デジタルの世界」の話をしますと言いながら、何故個人的な履歴や紛争の話を延々としてきたかという点に触れましょう。紛争を経験した当時の麻布生は制服の問題だけではなく、あらゆる経験をしました。麻布学園の中庭で多くの学生が制服で雨の中を座り込み、校長代行に対話集会への出席を要求していたところ、校長代行の要請でいきなり正門から警察機動隊が学園内に踏み込んできて、一人ひとりを「ゴボウ抜き」にして麻布生を学外に排除しました。その後、学園の門は封鎖「ロックアウト」され近づくものは警察が警備排除する、という異常事態となったのです。その当時、学園内に入ることを許されなかった麻布生たちは、これ幸いに遊び回っていたわけではなく自主授業を自ら運営し、講師としてお話をいただく方々に直接交渉して出演依頼をし、自主授業をする場所を探し、それにかかる必要経費を寄付などで捻出するという活動をしていました。
その自主授業とは、先生が用意した授業を単に受講するという姿勢ではなく、自分たちの聴講したい授業を自ら創るという姿勢でした。さて、今日から展開する特別授業ですが...私からの質問です...皆さんにとっての特別授業は、私が用意した内容と私が依頼した講師に連続して授業を実施してもらうという受動的な関わりで良いのでしょうか?今から、10分間の休み時間に皆さん、考えてみてください。自分たちが受講したい授業内容を、自ら能動的に関わるにはどうすれば良いのか..私は、来週以降どのような講師にお話をして欲して頂こうかという講師案を持ってはいます。しかしながら、それをそのまま受け止めて単に用意された授業を聴くだけで、皆さんは満足なのでしょうか?ちょっと考えてみてから、どのように特別授業を進めるか...残りの1時間で検討してみましょう。では、お休み時間とします。
では、ふるかわでした
P.S. 長文にて失礼しました。