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October 04 大浦博久氏のマイクロソフト退社と昨今のマイクロソフト事情マイクロソフトに20年以上在籍した大浦博久(Patrick大浦、パック)氏がマイクロソフトを退社しその壮行会が10月2日(月)に六本木の某所で開催され、それに参加してきました。 というより、そのパーティに合わせて私は帰国スケジュールを調整したのが事実なのであります。 ...パソコン業界の一部では、知らない人は居ないという大浦さんなのだけど、彼の退社を機会に...マイクロソフトの現在を支えてきた志士たちにはこんな人も居たののだということを本ブログでご紹介しておきましょう。 彼(大浦博久氏)は、日本のアメリカンスクールの在籍後、米国留学1983年ワシントン大学を卒業して米国本社のマイクロソフトに就職活動をしていました。その当時は、DOSをIBMにライセンスはしたものの、米国でも上場前で全世界の社員総数もまだ300人ほど...のことインタビューのために待合室にいた大浦氏にたまたま西和彦氏が遭遇して...「それなら、東京でアスキーに就職しなさい、古川っていうのが居るから連絡しとくわ...ほな宜しくな」という会話で当時の㈱アスキー出版のマイクロソフト事業部門に就職...あぁ、その時点で米国本社に就職していたなら、バルマーの次席くらいにはなっていたかもしれないのに...残念?!? その後、西和彦さん、古川、成毛さん、阿多さんの時代を通してマイクロソフト事業の日本展開に一番長く貢献してきた人間ということになります。 というのも、私は1年前2005年に退社しているだけではなく、1984年から1986年の間ビルゲイツと大喧嘩してマイクロソフトとは没交渉、出入り禁止になっていた時代がありました。大浦氏は、その間も西和彦さんに仕え結果として20数年間の長きに渡り継続してマイクロソフトに貢献してきたのです。 彼は、日本のパソコンメーカーに直接OEMラインセンス契約を締結するOEM営業部の代表をする時期が長かったので、業界内部では皆知る存在でしたが、メディアでの露出やマイクロソフトを代表して外でプレゼンテーションする立場にはありませんでした。大浦氏の名前がパソコン誌などに出てくるのは2000年にXBoxのデビュー時にXBoxの事業部長としてXboxの陣頭指揮を取った時の話がメインでありました。 しかしながら1983年から現在までのマイクロソフトに対する貢献は以下のようなものがあります。 ㈱アスキーとの業務提携を解消し、1986年にマイクロソフトを設立した時点で大浦氏はマイクロソフト株式会社に入社し、私が社長の時代には成毛氏がOEM営業部そしてマーケティング本部を統括し、大浦氏はマイクロソフト株式会社の人事部長を担当しました。1986年に18人でスタートしたマイクロソフト㈱が50人、100人、300人の会社に成長していく過程の中で、現在も勤続する多くのマイクロソフト社員の採用活動は大浦氏が仕掛けたことでありました。 その後、成毛氏が社長に就任した段階で、大浦氏は再び日本のPCメーカー向けラインセンスを担当するOEM営業部のトップとして君臨し、MS-DOS、OS/2、Windowsへの激動の時代、PC-98からAX,DOS/Vへの移行、などに全て関わりを持ってきました。OEM営業部の組織はとてもユニークで社内では部とか事業部ではなく、「大浦組」と呼ばれ...多くの人から「古川さん、マイクロソフトって外資系ではなく、体育会系なんですね」と言われた背景はユニークな大浦氏のリーダーシップにあったと思います。社内の飲み会や合宿に行けば、一気飲み、カラオケ熱唱は当たり前、何人もの人間が裸踊りをして何件ものお店や旅館から出入り厳禁になる、という元気印は...いわゆる外資系のスタイルとは確かに全く異なる雰囲気...その中で多くの人材が自分のタレントを活かし、育っていったものです。マイクロソフトがインターネット事業に打って出る時の初代インターネット事業部長で、IE3.0などをレリースしたのも、これまた大浦氏の実績でした。 「継続は力なり」って言葉がありますが...彼は日本の主要パソコンメーカーの重鎮たちがまだスタッフ、課長さん、部長さんの時代から、最終的に取締役や社長になるまで長いお付き合いをしてきたマイクロソフト社員なので、深い人間関係を日本の各メーカーと構築、維持、継続してきました。企業が大きくなってきた時には、誰がマネージャーに就任しても何の変化もなしに企業同士が付き合いを継続できる、というスタイルもありましょうが...それとは別に、「この人が居るからこの会社と付き合いたい」という気持ちにさせる、そんなマイクロソフトのオリジナルDNAの重要な一部を形成し、西和彦氏、古川、成毛氏、阿多氏とそれぞれ変わったマイクロソフトの会社の顔に関係無しに継続して自分の顔と人間関係を維持したことは...「マイクロソフトの日本の顔、最長不倒距離樹立」とも言える偉業だと思っています。MS-DOS,MSX,OS/2、AX,DOS/V, Windows, IE, XBoxそれらの全てのデビューに立会い、前人未踏の営業成績と日本の各メーカーとの基本的な信頼関係を築き維持してきたことをこの場でご紹介しておきたいと思ったのです。 というわけで、大浦氏のマイクロソフト20数年の功績に改めて、感謝すると共に今後のご活躍を期待するものであります。
以下、昨今のマイクロソフトに思うこと... Xboxの事業部長以降の大浦氏への処遇は...「ああ、外資系の人事考課って過去の業績には全く関係無く、極めて短時間に眼の前の結果しか判断しないのねぇ」とか「MBA取得した、履歴書重視で実績の全くないアタマデッカチの人間ばっかり徴用するのねぇ」...とか、「ふーん日本に就任した期間に自分の功績が目立つような策しか取らずにマイクロソフトの日本での位置づけとか考えずに、自分自身のキャリアアッププランの踏み台にしか考えていないのねぇ..」という人事政策が目立ちます... かって、日本IBMがアジア・パシフィックというアジア統括組織を日本に設置し沢山の外国人が大挙して東京にやってきて、広尾、六本木の外人向け一戸建てからマンションが高騰した時代がありました。その頃のIBMは外資系の会社丸出しで、日本人同士が英語で日常会話を強いられるような雰囲気でありました。その後の素晴らしい日本人の社長たちによる陣頭指揮で日本IBMは企業間、個人間の信頼関係だけではなく、日本社会に馴染み根を張ることができたのです。その結果、日本の会社として社会的な認知を達成されました。 現在のマイクロソフトが、外部から就任した新任マネージャーの好き嫌いで長年貢献してきた人間が冷遇されたり(たとえば、ボーナス査定ゼロ、暗黙の辞任勧告とかね)、根拠の無い告げ口でハメられたり、...優秀な人間ほど、このままモチベーションを維持するのが難しくなってきて転職を考えていたり...そんなジレンマを相談できる信頼のおけるボスも人事部もいないまま悶々としている人間たちの鬱積を、私は肌で感じています。 そのような姿勢は...製品開発に対するモチベーションにも反映されていて... そして最後に出てきた言葉は...「古川さんの言われることはその通り...でもブログが"Windows Live Space"という名称に変わってから、Windowsのことしか考えなくて良いっていう風潮でそれに反旗を翻すと会社に居づらくなる」との話..とうことであれば、それこそ私の実施している授業内容を生徒に開示するのに、Macじゃ読めませんのでWindowsマシンを買ってください、とはもう言えない立場なので...こんなことが続くならこのブログスペースも、汎用的なブログサイトに引越しせざるを得ないという状況になってしまうかも... そして最後にさらに絶句したのは、「古川さん、そんなことを問題にしないでくださいよ..Windows Vistaの品質なんてRC1(出荷予定版の第1版)がレリースされたのに、もっとヒドイんですから...多分過去出荷したWindowsの各バージョンに比べて最低の品質だと思います。だって、出荷版のビルドエラーを起こして、マスターソースがコンパイル・リンクができなくなっちゃたけど、まぁ、良いかってノリでレリースしてしまってるんですから」なんて話を聞くにつけ、さらに寒いっ... マイクロソフトを卒業しても、厳しい眼でマイクロソフトを批評し良いモノは積極的に紹介していくつもりではいるのですが...泣きそうな社員に、「だから、古川さんが辞めたから、こうなっちゃったんじゃないですか!!」と言われるのも辛い... でも、マイクロソフトがちゃんと自ら再生してくれることを、一卒業生として期待しています。 では、ふるかわでした P.S. もう一度、大浦さん..マイクロソフト卒業おめでとう!! Comments (12)
享(サム本人)
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